概要
元々はアテン神の信徒だったのでトゥト・アンク・アテンを名乗っていたが、父の死後、アメン・ラーの信仰を復活させ、トゥト・アンク・アメンに改名する。ツタンカーメンはこれを英語読みしたもの。
盗掘を受けることを嫌って、ツタンカーメンの時代にはファラオはピラミッドではなく王家の谷に葬ることにされていたが、それでもほとんどの墓が盗掘される中、ほぼ唯一ほとんど盗掘をうけなかったことで、豪華な黄金マスクをはじめ副葬品で有名になった。
発掘関係者が次々亡くなったという呪いが噂されたが、メンバーの大半は老年期に死亡し、発掘から大分時間が経っていることから呪いとはまるで言えないのが現状である。
人物
ツタンカーメン本人のミイラの詳細な調査により、身長は165cmで血液型はA型。
かなり華奢な体格であることがわかった。さらに当時、エジプトの王族で盛んだった近親婚の影響で、左足に杖がなければ歩けないほどの障害があったが、反面自ら出陣し、ヌビアの反乱を収めたりヒッタイトとの戦いで勝利するなど活動的で、国民からの人気もあった。
当時の彫刻では男性の王族が胸や尻の大きい女性のような姿で描かれているため、彼らには遺伝的な性ホルモン異常があったのではないかという説がある。
実際、本人のミイラの調査からも、ツタンカーメンは少女のような容姿だったという推測がなされている。
ただし、ツタンカーメンのミイラには正常に発達したペニスがある(しかも、天に向かって90度に勃起したような状態で保存されていたという)ため、彼が男性であったことは間違いないとされている。
19歳前後でその短い生涯を終えることとなる。
死因も長らく諸説あったが、近年では戦車から転落し骨折したうえ、マラリアにかかって死んだという説が有力視されつつある。