曖昧さ回避
- 建築物の一種。当記事で解説。
- まるでピラミッドのように、キャラクター等が積みあがっているイラストに付けられるタグ。
- 日本のゲーム会社。
概要
エジプトや中南米などに存在する、石やれんがを積み上げて造られた四角錐状の建築物。金字塔とも呼ばれる。
ギリシャ語でパンを指すピラミスが由来で、エジプト本来の呼び名は上昇を意味する「メル」。
エジプトのものは、主に紀元前2600~2200年頃の古王国時代と呼ばれる時代に建造され、一般的には王族の墓とされている。
その根拠としては、以下に示すものが挙げられる。
- ピラミッド自体が初期王朝時代に王墓として用いられていたマスタバの進化系である事※1
- ピラミッド付近に葬祭神殿跡が残されている事
- 全てのピラミッドが死者の領域であるナイル川の西にある事
- 実際にミイラや副葬品が発見されているピラミッドが存在している事※2
- ピラミッド・テキストと呼ばれる王の来世での復活に関する文章が内部に書かれている事※3
ただし、1人の王が複数のピラミッドを作っていたり、儀式の為に造られたピラミッドも存在している為、全てのピラミッドが墓として用いられていた訳ではない。
天文観測を目的とした説もあるが、それに関する論文は存在しない為、真面目に取り扱われてはいない。
最大はギザにあるクフ王のもので、底辺の一辺が230m、高さは146mにもなる。
中王国時代以降にもピラミッドは建造されてはいるものの、宗教観の変化により古王国時代のピラミッドに比べると小型化しており、ピラミッドそのものの材質も石材ではなく日干し煉瓦を用いている為、保存状態は良くない。
危険なのと文化財保護の観点から、ピラミッドへの登頂は1983年に禁止されている。
かつては奴隷を酷使して作られたと考えられていたが、近年の研究ではそうではない事が判明している。ピラミッド付近にはピラミッド建設に従事していた労働者達が住んでいた街(ピラミッド・タウン)の遺構が発見されており、通年でピラミッド建造に携わる職人が存在していたのはほぼ確実と考えられている。乾季に農作物が取れず仕事が無い国民のために国が立ち上げた公共事業とされた説もあったが、実証性を伴っていない為、有力視されてはいない。
当時は貨幣が発明されておらず、その代わりにパンやビールなどが給料として支給されていた。工事の最中に事故死した者もいたらしく、いわゆる追悼の場所もあったようで、他の参加者同様に食料が供えられていたとも言われている。また、エジプト全国の参加者の名前を登録して戸籍を作る目的もあった模様であった。
また、ルクソールに複数の王が埋葬されている王家の谷という場所もあるが、これはピラミッドが建造されていた古王国時代から1000年以上後の新王国時代に造られた墓であり、古王国時代のファラオとは無関係である。
有名なツタンカーメン(トゥトアンクアメン)やラムセス2世の墓はこの王家の谷にある。
中南米のものは、神殿の基壇として建造された。
日本テレビが放送していた「木曜スペシャル」のプロジェクトにおいて当時のエジプト政府の協力を得て、小規模ながらピラミッドの建築方法を忠実に石の工程から何から当時と同じ形で再現して実際に証明した事もある。麹町スタジオの敷地にそのピラミッドの頂点となるキャップストーンが設置されていたが、2019年に福島県いわき市にある東日本国際大学に移転し現在はこちらで展示されている。
脚注
※1 最初のピラミッドであるネチェリケト(別名ジェセル)王の階段ピラミッドはマスタバを重ねたような形状である。
※2 第6王朝のメルエンラー1世のピラミッドから完全な状態のミイラが発見されている。また、大ピラミッドを始め、多くのピラミッド内に内臓を入れるカノプス壺を置く為の窪みが発見されている。
※3 第5王朝時代以前のピラミッド内部には無い。