直流区間である関門トンネルと交流区間である門司駅を結ぶために製造された。
(門司駅構内交流化によって不要になった直流機EF10を置き換える目的もあった)
最大の特徴は、トンネル内から滴る海水で車体の腐食を防ぐためステンレス車体になっていることである。また、交流区間での運転はわずかなため、交流区間での出力は出力表示が10分定格となっている。(通常は1時間定格出力で計算する)
1960年に1号機が落成。最初は米原機関区に配属されて北陸本線で試運転がなされた。
量産機は翌年から登場した。1号機と量産機とは外観が異なるのが特徴である
(1号機はステンレス平板に赤帯、2号機以降はステンレスコルゲート外板)
1961年の鹿児島本線の交流電化(それまでは門司駅構内も直流電化であった)から活躍を始めた。旅客列車は単機で、貨物列車は重連で運用された。
しかし、老朽化と、後継機ともいえるEF81形300番台および400番台(0番台を重連対応に改造した機)が登場したため、国鉄の分割民営化を待たずに1987年3月に全機引退した。
その際1987年3月29日にさよなら運転が行われたが、重連で行われ、普段の運用での最南端駅である東小倉駅を越えて遠賀川駅まで運転された。
JR九州では3号機を動態保存機として大分運転所に残したが、後に解体された。JR貨物でも21号機が吹田機関区に保存されていたが、解体された。現存するEF30は、北九州市門司区の和布刈(めかり)公園に保存されている1号機と、群馬県安中市の碓氷峠鉄道文化むらに保存されている20号機のみである。九州に量産機が保存されず、関門トンネルとは無縁の群馬に保存されているのは何とも皮肉である。
(なお、大分の3号機は前頭部のみ保存されている)