努力
「才能」と対比されることも多い語ではあるが、才能を生かすために必要なものでもある。
むしろ現実に天才と称される人物は常人ではついていけないほどの努力をしている場合が多い。
成功に必要なものとされているが故に、努力は基本的に美徳とされるものではある。
だが忘れてはいけないのは、「努力だけで成功できるほど世の中甘くはない」ということである。
努力はあくまでも成功に必要な要素のひとつでしかなく、いくら努力しても間違った努力をしていれば成功なんて当然できないし、周囲の環境や本人の素質など努力だけではどうにもならないことが往々にしてあるのもまた事実。
エジソンの名言として有名な「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」も、「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄になる」という意味の言葉であり、本人も「ただ努力だけという人は、エネルギーを無駄にしているに過ぎない」と発言したことがあるんだとか(もっとも、エジソン自身は勤勉だったことでも知られ、決して努力を軽視してはいない)。
中には「努力しなくても成功できる」と主張する人もいるが、これは「上達できるか」よりも「楽できるか」という方向に考えた方がいいという趣旨のものであり、努力の方向性の問題と捉えることもできる。
要するに、成功するには努力だけでなく努力を実らせる力も大切ということである。
よって、「努力が足りない」という自己責任論だけで他者を非難・差別するのはあまりに短絡的なので注意しよう。
努力も過信すれば驕りを生み、弱者に冷たい実力主義に繋がってしまうのだ(実際、実力主義社会で有名なアメリカは努力を重視する一方で社会保障が薄い事でも知られている)。
創作において
作品のテーマとして、またキャラクターの性格付けとしても強調されることがある。
しかし2000年以降になると、ネット創作界隈を中心に「楽して強くなる」「最初から最強である」ことがトレンド化していき、努力を重ねて前進するキャラクターについては「暑苦しい」「所詮は二流」というマイナスイメージがまとわり付くようになってしまった。
理由としては、以下のような理由で「努力の価値」が希薄になってしまったことが考えられる。
- 根性論を通しても報われたほどイケイケドンドンな時代だった高度経済成長期から一転、バブル崩壊により長い不況に陥ったことで「成功に必要なのは努力より運やコネ」「どうせ努力しても報われないんだから楽して生きていきたい」という価値観が定着してしまったこと
- 「文明の利器による便利さが優先される」世情へ移り変わり、「地道な努力よりも少ない対価ですんなりと終わらせることが文明人である」ことを、世の中が推進していることに誰しも大声で違和感を唱えなくなったこと
その気風もあってか、便利さの裏に血の滲む努力があったことを紹介するビジネスドキュメンタリーも増えており、決して努力することが陳腐な旧説でないことを提示してくれている。
スパロボシリーズでは、使った後の1回の戦闘だけ経験値を2倍にする効果がある精神コマンドとして登場する。
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