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概要

フランス海軍初の軽巡洋艦

本級の竣工までフランス海軍には軽巡洋艦は存在せず、主甲板に装甲板を張った「防護巡洋艦」か、その無防御な舷側に装甲を張り、ある程度の防御力を持たせた「装甲巡洋艦」しか持ち得なかった。しかし、列強各国で舷側に軽装甲を張り、駆逐艦程度の砲撃力ならば耐えうる「軽巡洋艦」が世界的なブームになってから、フランス海軍は1912年制定の艦隊計画において、同年から1915年にかけて排水量4,500~6,000トンで速力27ノット~29ノットで計10隻の高速巡洋艦案を計画したのだが、第一次世界大戦の勃発により建造計画は破棄されてしまった。そこで、ドイツやオーストリア=ハンガリーより戦利品として入手した軽巡洋艦「ストラスブール(旧:レーゲンスブルク)」「メス(旧:ケーニヒスブルク)」「コルマル(旧:コルベルク)」「ミュルーズ(旧:シュトラーズント)」「ディオンヴィル(旧:ノヴァラ)」らの運用実績や新たな建艦技術を盛り込み、仮想敵として新興海軍国たるイタリア海軍の軽巡洋艦に定めた。その結果誕生したのが本級である。

武装

主砲

本給は、列強海軍軽巡洋艦の中で初めて全主砲を砲塔に収めた型式の艦である。

主砲は新設計の「1920年型 15.2cm(50口径)速射砲」を採用したが、これは本来の口径ではない。

本級は1922年4月に建造が認められた当時は戦前の装甲巡洋艦の主砲と同口径の19.4cm砲を搭載するはずであったが、この頃に定められたワシントン海軍軍縮条約により巡洋艦の最大主砲口径は8インチ=20.3cm、そのために19.4cm砲では若干ながら威力不足と判断された。しかし、建造ペースの遅いフランス海軍でさえも建造までには20.3cm砲の製造が間に合わない為、急遽の策として同条約で定められた6インチ砲を採用することとなった。これならば当時に世界的に注目を集めた陸軍の15.5cm砲の製造実績が流用でき、陸軍に比べて予算的に苦しいフランス海軍でも陸軍と砲弾の融通が利くというので議会への予算も通りやすいだろうと採用された。

砲身は当時の最新技術である自緊砲身を採用し、製造に逸早く成功した。砲の旋回・俯仰動力はフランス軍艦伝統の電動方式を採用したが、1927年に射撃方位盤が取り付けられ、方位盤管制による効果的な射撃が可能になった。

そのほかの武装

対空火器として「1922年型 7.5cm(60口径)高角砲」が採用された。この砲は長命で続く「シュフラン級」と戦利巡洋艦にも搭載された。

その性能は重量5.93kgの砲弾を仰角40度で14,100mまで、最大仰角90度で高度8,000mまで届かせることができた。 これを単装砲架で4基を搭載し、砲架の俯仰能力は仰角90度・俯角10度で、旋回角度は左右150度の旋回角度を持っていたが実際は遮蔽物に制限された。装填形式は自由角度装填で、発射速度は人力装填のため毎分8~15発であった。

他にはオチキス社製「13.2mm(76口径)機銃」が単装砲架で4丁が載せられた。対空武装が大人しめに感じられるが、本級が竣工した時代はまだ航空攻撃が確立していない為、設計に盛り込まれないだけである。

防御

舷側装甲は無く、甲板防御に20mmの装甲を張り、弾火薬庫や舵機室など主要防御部に「ボックス・シタデル」と呼ばれる20mm装甲板で囲む軽防御方式を採っている。その代り、フランス軍艦伝統の対応防御方式を強化して、機関区画への縦隔壁と細分化された水密区画により水線下触雷時の浸水被害の局限化を図っていた。

同型艦

No艦名工廠起工進水竣工戦没
一番艦デュゲイ・トルーアンブレスト1922/08/041923/08/141926/11/021952/03/19(退役)
二番艦ラモット・ピケロリアン1923/01/171924/03/211927/03/051945/01/12
三番艦プリモゲブレスト1923/08/161924/05/211927/04/011942/11/08

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