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岸田護の編集履歴

2019/10/04 16:09:15 版

編集内容:長らくの間記事更新が行われていなかったため、大幅改訂

概要

1981年5月10日生まれ、大阪府吹田市出身。

ポジションは投手

履正社高校、東北福祉大学、社会人野球のNTT西日本を経て、2005年オフのドラフト会議にてオリックスバファローズから3位指名を受けて入団した。

  • 1年目・2006年は2軍で先発・中継ぎの両方を経験し、ウエスタンリーグ最優秀防御率のタイトルを獲得。5月30日には初めて1軍の試合で投げた。
  • 2007年はシーズン後半に先発ローテーション入り。しかし味方打線の援護がなく防御率2点台ながら2勝止まりで終わっている。
  • 2008年は開幕前とシーズン途中で戦線離脱。
  • 2009年は規定投球回数到達にはわずかに及ばなかったものの、自身初の2ケタ勝利である10勝を達成。
  • 2010年は平野佳寿と共にシーズン途中から中継ぎ・抑えへ配置転換。57試合に登板し11ホールド・12セーブを挙げる。
  • 2011年はシーズンを通して抑え投手(守護神)を務め、68試合を投げ33セーブを挙げる。
  • 2012年は途中から平野佳寿と中継ぎ・抑えのポジションを交換。その後肉離れで戦線離脱をする。52試合登板、3ホールド・18セーブ。
  • 2013年は先発復帰を目指したが、キャンプ中の怪我で出遅れ、その後中継ぎ投手として起用。8月に右足甲を痛め戦線離脱。
  • 2014年は久しぶりに先発投手として登板したが、その後は成績が振るわず再び中継ぎへ配置転換。55試合に登板し4勝・12ホールド。
  • 2015年は序盤は不調だったものの徐々に持ち直し、2年連続で50試合に登板、15ホールドを挙げた。
  • 2016年は右肩の関節炎のため1軍の登板は16試合止まり。
  • 2017年は4試合の出場にとどまり、オフに大幅減棒を受ける。
  • 2018年は6月に1軍へ昇格し17試合に登板。
  • 2019年はシーズン終盤まで1軍昇格がなく、同年現役引退を表明。9月29日の1軍・福岡ソフトバンクホークス戦が自身の引退試合となった。

通算433試合登板、44勝30敗・63セーブ・63ホールド・防御率2.99。

人物

先発、中継ぎ、抑えのどのポジションもこなすタイプ。

投げる際に少し首を傾け、ゆっくり足を上げて鋭く腕を振る独特のフォームから、最速152km/hの手元で伸びるストレートと縦のスライダー、チェンジアップを軸にし、カーブやシュートも交える。フォークを投げることはできないが、その代わりにチェンジアップをフォークのように意識して扱っていた。

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