駿府城
すんぷじょう
静岡県静岡市葵区にあった城
概要
府中城、静岡城とも呼ばれる
1590年、家康が関東へ移封されると豊臣家臣の中村一氏が入城した。
1607年、将軍職を退き大御所となった家康は城を拡張・大改修し三重の堀と六重七階の天守を持つ大城郭へと整備した。
天守は、1607年に建てられたが完成間近に城内からの失火で焼失、直後に再建されたが1635年に城下の火災が城に延燃し再度焼失。以降再建されることはなかった。残された天守台は、石垣上端で55m×48mという城郭史上最大級の規模であったが明治時代に取り壊された。
現在、城跡は駿府城公園として整備されており櫓や城門が復元されている。
天守
駿府城の天守は3度建てられたと考えられている。1589年に初めて天正期天守が築造された。その後、1607年の慶長1期天守が建てられたが、完成間近に焼失した。その翌年から1610年に慶長2期天守が再建された 。1896年まで残っていた天守台は、この慶長2期のものである。
余談
江戸時代の随筆「一宵話」によると1609年、駿府城の中庭に肉塊のような者が現れたという。小児くらいの大きさで手はあるが指はなく肉人とでもいうべき者だった。捕まえようとしたがすばやく動いて捕まえられず家康が、その者を外へ追い払うよう命じたため、捕獲をあきらめ城から山のほうへと追い出したという。