概要
駿府を拠点に活躍した戦国大名・今川氏の居館。
14世紀頃に駿河今川氏により構築され領国支配の中心地となった。
中世守護館と同じ特徴を持っていたと推定されており普段生活する際は平地の居館、戦時には防衛施設の詰城である今川館の北西の賤機山城を利用していた。 1568年(永録11年)の武田信玄による駿河侵攻の際に焼失。
その後、信玄は新たに江尻城を築いたため、今川館は使われることはなかった。
1586年(天正13年)、駿河を領有していた徳川家康の駿府城築城により今川館は完全に姿を消した。
発掘調査の結果から駿府城跡付近にあったと推定されているが、正確な位置や構造は特定できていない。