概要
1986年6月30日、東京都に生まれる。東京都立工芸高校定時制インテリア科卒業。本名は菊地祐紀(きくちゆうき)。フリーのイラストレーターとしてグッズの制作、絵本、アニメなど、多種多様な創作活動を行っている。また、近年は漫画家としての活動も多い。作品は、かわいくてすこし奇妙な動物キャラクター「SUPERどうぶつーズ」。顔をたくさん描く「FaceArt」や「キャット忍者コータロー」など、独自のキャラクター・世界観を描いている。
2019年12月から2020年3月まで毎日Twitterにて連載された「100日後に死ぬワニ」は連載開始から大きな注目を集め、一大ブームを巻き起こした。
人物
自然体な人柄であり、謙虚に自身を見つめて作風を変え、その創作活動に真剣な姿勢により独自の画風が生まれた。
4歳の頃、幼稚園でティッシュの空箱と輪ゴムを使ってギターのおもちゃを作り、園内で大きく評価されるなど、幼少期の頃より創作に関心を抱く。
小学生の頃は絵が上手だったいとこの影響で絵を描くことに夢中になり、ドラクエのモンスターをよく描いていた。中学生になり自分の机にはじめの一歩やデビルマンの落書きをしているのを担任にバレるも、美術の教師だったので褒められたという。
担任の勧めにより工芸高校の定時制インテリア科に入学。授業では家具の製作や製図に勤しみ、部活は音楽部とバドミントン部を兼部して高校時代を過ごした。
10代の頃は自分の意志が弱く、中高を通して進路はほとんど考えていなかったという。(本人いわく自我が無かった。)絵を描くことは好きだったが、将来、漫画家やイラストレーターになろうとは微塵も思っていなかった。中学時代の担任から「絵が好きならインテリア科はどうだ」という勧めによって工芸高校のインテリア科に入学し、インテリアを専攻したものの、建築関係の仕事を目指すつもりは毛頭なかった。当時を振り返って、「絵をたくさん描けるからアートグラフィック科に進んだ方がよかった」とコメントしている。
20歳の頃、旧知の仲であった親友が事故によって急死してしまい、大いに涙を流し数ヶ月間落ち込んだという。彼のために何かできないかと考えながら、再び筆を握る。
創作活動をSNSに投稿しつつ、アルバイトの日々が続く中、あるイベンターから声がかかり、公の場に初めて自身の作品を出展する。そこから業界への一歩を踏み出し、同業者の人脈も増えていき、創作活動のモチベーションにもなった。
25歳で印刷会社に就職するも、会社員として創作時間を大幅に削られてしまうことに疑問を感じ、自分のやりたいことをやろうと27歳で退職、フリーのイラストレーターとして独立し本格的に活動を開始する。LINEスタンプの制作や、各種イベントへの出展、漫画「SUPERどうぶつーズ」「100日後に死ぬワニ」の連載など現在も活躍の場を広げている。
作風
高校卒業後はカエルの絵を数多く描いていた。作風は現在とは異なり、実在するカエルを忠実に描写し、ポスターカラーでカラフルに着色していた。本人いわくイラストというより絵画。
従来の画風による作品がコンテストで賞を受けるも、覚えやすく魅力的なキャラクターを模索するようになる。
その後、「アントニーオ・ドッピオ」という顔のイラストを画面一杯に敷き詰めるインパクトのあるキャラクター、劇画タッチで奇抜なデザインの動物キャラクター「どうぶつーズ」など、シュールでアンダーグラウンドな作風が定着した。
「100日後に死ぬワニ」では、シンプルなデザインの動物たちによる4コマ漫画という万人受けの作風になっており、大ヒットの一因を担ったと言えるだろう。
代表作
ねずみのトニー、うさぎのコニー、ぞうのポニー。
どうぶつの街「ビッグシティ」に住む、いつも仲良し3人組の「どうぶつーズ」。年の頃は、トニー(27)コニー(27)ポニー(29)である。どうぶつーズの仲間はみんなしっかりとした職を持ち毎日せっせと働いている中、いまだバイトしているどうぶつーズの3人。彼らが常々口にする言葉といえば「…そろそろ俺らやばくね?」しかしそんなどうぶつーズにも大きな夢が! その夢とは遊んで暮らせる大テーマパークを作ること。バイトだけでそんなの作れる訳がないっつーのに今日も変わらずモデルに雑用デリバリー。様々な出会いと経験を積んで夢に向かうどうぶつーズ。行け!どうぶつーズ!
あたりまえ。だから、愛おしい
1匹のワニの、なんでもなくて、かけがえのない
毎日の記録を100日間かけて連載された4コマ漫画。