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1987年4月16日生まれ、父ディクタス母ダイナランディング。通算51戦9勝。

1989年デビュー、1990年桜花賞11着オークス9着エリザベス女王杯で4着、4歳時までで13戦もする。

1991年京阪杯で重賞初制覇、北九州記念で2着・小倉記念で3着・朝日チャレンジCで2着、1年で12戦も出走する。

1992年金鯱賞で重賞2勝、小倉記念で重賞3勝、オールカマーで重賞4勝、オグリキャップの89年伝説のローテーション秋GI4連戦で出走する、1年で16戦も出走する。

1993年安田記念14番人気で2着に連対する、続く宝塚記念も8番人気で2着。富士S8着後に引退、この年も10戦する。

繁殖牝馬として93年宝塚記念1・2着の縁、メジロマックイーンとの夢の配合が実現した珍しい例となる。

現実では大抵の場合、ダイイチルビーとダイタクヘリオス、ナリタブライアンとヒシアマゾン、タイキシャトルとキョウエイマーチ、ダイタクヤマトとメジロダーリング、など実現しない事が多い。

ライバルのヌエボトウショウとは5勝6敗だった。

51戦も出走し海外のトリプティクに擬え、日本の鉄の女と呼ばれた。

GI馬のメジロデュレンやダンツシアトルに並ぶ、村本騎手の代表的騎乗馬。

当時の生涯獲得賞金が牝馬では歴代1位だった(シンコウラブリイが1週間後に更新)。

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