非常口
ひじょうぐち
概要
非常口のマーク(ピクトグラム)を示すタグ。大半は非常口マークをもじったネタ絵である。
以前から良作ネタ絵の多いタグであったが、【非常口遊戯】企画で注目を集め、pixiv通信にも紹介された。
逃げる人がひどい目に遭う絵は、特別に「非情口」の名を進呈される。
ちなみに、ピクトグラムではなく実物の非常口をモチーフにした絵も、ごくごくわずかに存在する。
ピクトグラムの誕生の経緯
非常口を表す誘導灯はすでに1965年頃から存在はしていたが、
当時は文字表記だけであり、「非常口」「非常出口」といった誘導灯であった。
しかし1972年の千日デパート火災、1973年の大洋デパート火災で非常口誘導灯のサイズが小さかったために非常口の場所が火災による煙などで分からず、多くの死傷者を出してしまい、
消防法が改正されるとともに、日本照明器具工業会において誘導灯の認定が開始されることになった。
この時点でも誘導灯の構造を改良されつつあるが、「非常口」などの字体や英語表記の有無が誘導灯の製造会社間で統一されておらず、メーカーでまちまちだった。
また、文字だけであるので無機質で威圧感が感じられることにより、子供が怖がってしまう他、その場のイメージを壊したり、病院などでは夜間に患者の安眠を妨げるなど、問題は山積みであった。
そこで誰にでもわかる標識を目指しデザインが1979年に公募され、およそ3300人の応募の中から図案評価実験等を経て小谷松敏文の作品が入選した。
太田幸夫による改良を経て1982年1月20日に消防庁告示、同年4月1日に施行された。
消防庁告示から僅か1年半の間で、70%以上の誘導灯が新表示(現行デザイン)に取り換えられたという。
その背景には施行直前である1982年2月8日にホテルニュージャパン火災が発生、
それを受けて消防法が一層厳しくなったその影響で、誘導灯の筐体はそのままでパネルだけの交換などが特に多かった。
ピクトグラムの誕生後
1982年から1983年にかけて70%以上の誘導灯が新表示(現行デザイン)に取り換えられた。
当時はまだ右矢印であってもピクトグラムが左に向いていたりなど違和感があったが、
右向きのデザインも登場した。(基本は左向きで両矢印の場合は左向きになる)
1990年代に入ると薄い筐体が登場し、1994年にはピクトグラムのみのコンパクトスクエア型が登場。
1999年には表示記号の変更し、2010年には光源が冷陰極蛍光灯からLEDとなって省エネ化が進み、現在ではLEDが主流となっている。