水原茂
みずはらしげる
香川県高松市出身のプロ野球選手(内野手)・監督・野球解説者・野球評論家。
概要
(1909年1月19日 - 1982年3月26日)。
1936年秋に巨人に入団、三塁手のレギュラーとなる。1938年には秋季リーグで投手も務め、1939年からは主将を務め、1940年はベストナイン、1942年には応召によってシーズン途中の8月で途中離脱したにもかかわらず、人望があったということで最高殊勲選手に選ばれている。
戦争ではアジア大陸に渡り、シベリア抑留を経験。監督に就任した1950年は兼任監督となったが、わずか7試合の出場に留まった。
選手兼任監督だった1950年は3位に終わるが、1951年から1953年までリーグ3連覇・日本一となり、巨人の「第二期黄金時代」を築く。1960年まで監督を続けリーグ優勝8回を記録し黄金時代を築いた。その後、東映フライヤーズ (1961 - 1967、日本一1回)、中日ドラゴンズ (1969 - 1971)で監督を歴任した。
1968年、1972年以降は東京放送(TBSテレビ・TBSラジオ)専属野球解説者として活動した。1968年はスポーツニッポン野球評論家、1972年以降は日刊スポーツ野球評論家も務めた。1977年野球殿堂入り。
1982年2月に吐血して入院、同年3月26日、肝不全のため東京都新宿区の東京女子医科大学病院で死去、73歳没。