雨ニモマケズ
あめにもまけず
概要
宮沢賢治の代表作の一つとして知られる詞。元々は彼の手帳に書かれた手記。
記されたのは彼の死の3年前である1931年11月3日で、肺炎との闘病中であったと推察されている。この詩が記された手帳は俗に「雨ニモマケズ手帳」と呼ばれており、賢治の家族でさえ、遺品整理の際に発見したものだったという。
その詩が何を訴えたかったかについては不明瞭な点が多いものの、農に生きる者の苦難や、人としての理想を謳った内容は、今なお多くの人々の心に訴えかけるものを持つ。
賢治は敬虔な日蓮宗の信者であり、詩の書かれたページの端には、「南無無邊行菩薩」をはじめとする七つの題目(「南無妙法蓮華経」と日蓮宗で重視されている二仏四菩薩への祈り)が記されているが、この詩は信仰の枠を越えて多くの人に広く受け入れられている。
論争多き名作
『どんぐりと山猫』と並んで戦後の文部省著作教科書に載せられたことから、賢治の作品の中では最も早くから一般に知られるものとなった本作だが、その詩の内容について研究家の間で大きな論争を呼び、俗に「雨ニモマケズ論争」とも呼ばれた。
特に「ヒドリノトキハナミダヲナガシ」の一文は「旱(ひでり)」なのか「日取り」なのかで意見が分かれ、「旱の書き間違い」とする場合と「日取り(日雇い)の仕事」と解釈するかで大きく分かれた。現在では「旱」の誤表記とするのが一般的だが、愛好家のあいだでは「日取り」と解釈されており、意見は割れたままである。
なお、「玄米四合」は現在の感覚では一日の摂食量としては多すぎるように思われるが、当時の日本人は少しのおかずで大量の米飯を食する食生活であり、「玄米四合」は当時の男性の摂食量としては平均かそれより若干少ないくらい(当時の日本陸軍では一日麦飯六合が標準である)。「味噌と少しの野菜」程度の貧弱な副菜で肉体労働を行うことを考えると、玄米四合ではカロリーが不足するとの指摘もあり、むしろ少食の比喩と解すべきであろう(加えて賢治はかなりの偏食であり、それも栄養状態の悪化を招き、寿命を縮めたといわれる)。
なお、教科書に載った時には、食糧難だった時勢から「玄米四合は多い」ということから「玄米三合」に改ざんされていた(食料難が改善した昭和24年版では元の「玄米四合」に戻されている)。
全文
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋(イカ)ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無邊行菩薩
南無上行菩薩
南無多寳如来
南 無 妙 法 蓮 華 経
南無釈迦牟尼佛
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
※「瞋(しん)」は「いかり」を表すが、どちらかといえば仏教的な意味合いを持つ(不快なもの・嫌いなものに対する怒り、妬み、恨みや僻みといった悪感情)。仏教では「愚かさ」や「貪欲さ」と合わせて「三毒」と呼ばれ、強く戒めなければならないと説く。
「慾ハナク、決シテ瞋ラズ」
「ヨクミキキシ、ワカリ、ソシテワスレズ」というフレーズからも、彼の考え方の一端がうかがえるだろう。
関連タグ
ニワカ雨ニモ負ケズ:『NARUTO』のテーマソングの一つであり、曲名がオマージュになっている。
雨ニモ負ケズ:表記揺れ。原文に沿えば「マケズ」とカタカナなのが正しいが、こちらも広く浸透している。
ゴローニャ(´・ω・)カワイソス:いわ・じめん故の悲哀を詠んだパロディ。