ザ・ベストテン
ざべすとてん
1978年1月19日から1989年9月28日まで、毎週木曜21時より1時間生放送されていたランキング形式の音楽番組。
司会は黒柳徹子と久米宏。久米の降板後は生島ヒロシや松下賢次などが担当した。
音源の売上+有線リクエスト+ラジオリクエスト+視聴者からのハガキ投票を元に集計された独自のランキング10位の歌手を招き直接歌わせる形式を取っていた。
但し、郷ひろみや中島みゆきやおニャン子クラブ※など、様々な事情やポリシーで出演を辞退する歌手も存在した。
後述する追っかけマンを筆頭に色々とカオスな演出も多く、今では考えられないようなハプニングも名物のひとつだった。
視聴率が高かった割に色々無茶をやっていたせいもあってか、制作費は大赤字だったらしい。
※一度「今週のスポットライト」として初出演を果たすも、後に発生したTBSとフジテレビ間のランキング集計に対する見解の相違が原因。出演辞退を解説する際の「各方面」はちょっとした流行語となった。なお、『夕やけニャンニャン』本放送終了後には工藤静香など元所属メンバーは普通に出演している。
番組の中で特に有名なのがこの企画で、歌手がスタジオに来れないのならこっちから追ってやろうというもの。
系列局の本社やテレビドラマの撮影現場(他局含む)に地方の名所旧跡、果ては鉄道の駅や空港などからの中継もあった。
新幹線からの中継はハプニングが特に多く、車内にはカメラが入れられないので駅に停車中に歌ってもらう、あるいは近くの建物から新幹線に乗っている歌手の歌唱映像を映すなどもあの手この手の珍場面が多々見られた。
有名なハプニングとしては、ALFEEがサプライズで名古屋のとあるファンの宅に訪問したらなんと当人が不在で、やむなく玄関前で歌う羽目になったエピソードがある(その後、このファンとは2019年に放送された特番で対面を果たした)。
久米が降板した1986年以降から視聴率が徐々に低下してゆく。
その背景には以下の理由が挙げられる。
・歌い手の出演拒否
ミュージックビデオの普及でテレビ出演をしなくても知名度を上げる構造が成立し、次第に出演拒否する歌手が増えてゆく。曲の尺が長くなり、時間の短い生放送ではパフォーマンスが出せないのも一因となった(この背景には、楽曲ソースの頒布手段がアナログレコードからCDに移行したことがある)。
・お笑い芸人の台頭
80年代後半になると、それまで歌手の前座扱いだったお笑い芸人が各方面で台頭し、テレビのメインキャストもお笑いにシフトしてゆく。中でも1988年に裏番組で始まった『とんねるずのみなさんのおかげです』の人気が打ち切りの一因になったとされる(楽屋でも出演者が皆これを見ていたというエピソードもあるほど)。
こうして1989年10月をもって番組は終了。これ以降『夜のヒットスタジオ』『歌のトップテン』といった人気を博した生放送の歌番組が次々と終了する、一つの時代の終焉となった。