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孝昭天皇

こうしょうてんのう

古事記や日本書紀に伝えられる日本国第五代天皇。欠史八代の1人で、戦後は実在しない天皇と捉える見方が一般的であったが、今では成立せず、実在説の方が説得力が高まっている。
目次 [非表示]

系譜

父は懿徳天皇、母は息石耳命の女・天豊津媛命(アマトヨツヒメノミコト)。


概要

4代懿徳天皇の皇子。

懿徳天皇22年に18歳で皇太子となる。

12年後に懿徳天皇が崩御し、孝昭天皇が即位した。

都は掖上池心宮(わきのかみのいけごころのみや、奈良県御所市)に定めた。

『日本書紀』によると113歳で崩御した。


皇居

掖上池心宮(わきがみのいけこころのみや。現在の奈良県御所市池之内と思われる)。しかし『古事記』には「葛城掖上宮」と書かれている。


御陵

掖上博多山上陵(わきのかみのはかたのやまのえのみささぎ)に葬られた。


皇統

  • 皇后:世襲足媛(よそたらしひめ、天忍男命の娘)

天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)

・日本足彦国押人尊(やまとたらしひこくにおしひとのみこと、第6代・孝安天皇


史実性

神武天皇の崩御後は10代崇神天皇に至るまでの間、国内には有事なく、天下はよく治まって基礎がますます固まっていった。そのため『古事記』『日本書紀』に事跡の記事を欠き、戦後は実在しなかったとの見方が通説であった。

しかし記紀に事跡がないのは18代反正天皇以降にも見られ、記録にある都の所在地も正確で、結婚相手も奈良盆地磯城出身であり、国風諡号も後世の創作ではありえないことが今では明らかで、御陵も前方後円墳ではなく考古学的な事実と一致している。そのため戦後の創作説は説得力を失っている。


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欠史八代

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