概要
趙国の第9代の王。
素行の悪さを諌めた廉頗から大将権を剥奪したり、それを拒否されると討伐軍を差し向ける。
その他「民がどうとか 国がどうとか 後のことなど知ったことか」と言い放つなど暗愚な王としての描写が目立つ。
作中での言動
作中では李牧を中心に暗君と評されているが、実際の所彼の行動によって趙が致命的な損害を負ったことはない。
むしろ臣下(特に李牧)のやらかしが酷いため、
「失敗し続ける部下も我慢してくれる優しく明るい上司なのでは」という声や
「無能な臣下をここまで切れないのは国王としてダメ」「李牧を重用する暗君」等、読者の評価はネタ込みで様々。
良くも悪くも自身がお飾りの王であると自覚しており、戦争も外交も基本的には現場に丸投げ。
何もしていないという点で王として無能と言われればそれまでだが、上司に余計な口を挟まれず好きにやれる環境で失敗を重ね続ける李牧らにも問題があるのではという見方もある。
国内の戦力についてはある程度把握できているようで、秦国との鄴を巡る攻防戦では
李牧の「邯鄲(趙の首都)の近衛兵を出して欲しい」という願いに対し「邯鄲の兵は王を守るためにある」「鄴周辺から兵を集めれば大軍となる。それで十分であろうが」と一蹴しており、実際に李牧率いる趙軍は秦軍を大きく上回る数となっていた。
李牧が無事に鄴を陥落させられた際には堪忍袋の緒が切れたか、処刑すべく彼を拘束する。
しかしそれを不服とした李牧の臣下が長子の嘉を新王として擁立しクーデターを起こしてしまう。
混乱の中、最期は何者かに毒を盛られ死亡(その際の描写は悼襄王が助けを求める中、大勢の童子達が血を吹き出し倒れる彼を見ながら笑みを浮かべるのみで、首謀者は不明といったもの)。
しかし死の直前、彼は「嘉を廃嫡し、末子・遷(幽繆王)を後継とする」と書記長に伝えていた。これによってクーデターは「悼襄王の死後、長子である嘉を即位させる」という大義名分を失ったため失敗。
遷が幽繆王として即位し、李牧一派は国外に逃亡という形で事態は収束した。
なおこの内乱により
「不穏分子に邯鄲の精鋭を貸し出さなかったのは英断」
「その不穏分子にあっさり抱き込まれる馬鹿息子を即座に廃嫡する名采配」
と、その判断力が一部読者から高く評価されている。