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路線データ

路線延長6.8km
軌道間1,067mm
駅数12駅
複線区間なし
電化区間全線直流電化(1500V)
閉塞方式自動閉塞式
最高速度60km/h

概要

石川県金沢市北鉄金沢駅から同県内灘町内灘駅に至る路線である。営業キロ6.8km。前身の浅野川電気鉄道から現在でも浅電と呼ばれる。

金沢駅に繋がってはいるものの、金沢市中心部である香林坊や武蔵ヶ辻方面へは北陸鉄道(北鉄)バスを使用しなければいけない。石川線とはもともと鉄道会社が異なっていたため、線路はつながっていない一方、石川線との直通運転が何十年も議論されており、香林坊や武蔵ヶ辻などの金沢市街地を通る路線の建設が検討されていた。地下線方式、あるいはLRT方式、BRT方式が有力であった。ただし、浅野川線は直流1500V電化、石川線は直流600V電化であるため、昇圧・降圧問題も絡んできた。

ところが、石川線に関しては、利用客の減少に加えて車両や設備の老朽化もあり、思い切って鉄道路線をやめ、線路が敷かれていたところをバス専用道路とするBRTに転換する事が検討されており、もしこれが実現すれば、この浅野川線は、北鉄最後の鉄道路線となっていた。しかし結局石川線は鉄道路線として当面は残る事になった(どころか、思い切って新型車を投入する構想まで浮上している)。

この路線は1924年1月23日設立の浅野川電気鉄道によって開業したもの。1925年5月10日に七ツ屋-新須崎(蚊爪-粟ヶ崎間にあった駅。1961年6月30日に廃止)間、翌年5月18日に金沢駅前(現在の北鉄金沢)-七ツ屋間、1929年7月14日に新須崎-粟ヶ崎海岸間を開業した。1925年に浅電は粟崎遊園を開業し、近くに粟崎遊園前駅を設置して利便性を図った。

ところが第二次世界大戦により粟崎遊園は軍の宿営地となり、粟崎遊園前-粟ヶ崎海岸間の線路も接収された。戦時統合で北鉄に合併されることが決まったが、当時の藍元義範社長が合併条件に不満なため拒否。結局社長が刑事事件で逮捕された後の1945年10月1日、北鉄に合併された。

1952年に粟崎遊園前-粟ヶ崎海岸間の線路が復旧、金沢市内線と直通するようになった。内灘砂丘にアメリカ軍の試射場を設置する計画があり、そこにつながる線路も繋がれたが、内灘村議会が試射場設置に反対、北鉄労働組合もストライキを起こした内灘闘争が発生した。結局1957年にアメリカ軍が撤収し、専用線が廃止、のちに粟崎遊園前駅の移転により設置した内灘駅に活用された。1974年7月8日には港湾整備などにより内灘-粟ヶ崎海岸間が廃止された(粟崎遊園前(内灘)-粟ヶ崎海岸間は海水浴シーズンのみの営業区間だったので、最終営業日は1972年8月31日)。

1996年に架線電圧を1500Vに昇圧し、ワンマン運転を開始し、元京王3000系電車を購入。2001年に北鉄金沢駅が地下化された。

駅一覧

以前は急行列車の運行があったが、現在はすべて普通列車。ワンマン運転

駅名乗り換え路線備考
北鉄金沢
  1. JR北陸本線
  2. JR北陸新幹線
  3. IRいしかわ鉄道/JR七尾線方面
(※金沢駅)
七ツ屋
上諸江
磯部
割出「わりだし」。日本国内の全ての駅を50音順に並べると最後の駅になる。北鉄本社はここが最寄り駅。
三口
三ツ屋
大河端
北間
蚊爪
粟ヶ崎
内灘

廃止区間

駅名乗り換え路線備考
内灘
粟ヶ崎海岸海水浴シーズン時のみ営業していた臨時駅。1974年廃止

在籍車両

8000系

もと京王3000系。北鉄入線に際し電動車化とパンタグラフ取り付けを行った。

  • 8800形:2両編成2本。種車は京王3000系の1次車であるため、が片開きである。
  • 8900形:2両編成3本。両開き扉。

03系

東京メトロ03系。8000系のパーツの確保が難しくなったために思い切って購入したもの。

こちらも北鉄入線に際し電動車化とパンタグラフ取り付けを実施している。

なお、浅野川線には除雪専用の車両が無いため、在籍車輛は全て雪かきが装着されている。

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