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袁燿の編集履歴

2014-01-19 21:22:11 バージョン

袁燿

えんよう

袁 燿 (えん よう) とは中国の後漢時代から三国時代にかけての仲の武将、皇族、呉の武将である。

正史における袁燿

生没年不詳で豫州汝南郡汝陽県の生まれとされる。また、字も不明。

父・袁術が皇帝を称し仲帝国を建国すると仲帝国の皇太子に建てられた。

袁術が没し、仲帝国が滅亡すると袁術の従弟・袁胤ら守られ元袁術配下の劉勲に保護される。そのすぐ後に元袁術配下の孫策に劉勲が敗れ孫策に捕縛されるが袁燿の姉妹が孫策の弟で呉帝国皇帝になった孫権の妻になった他、袁燿自らの娘も孫権の子・孫奮の妻となり、呉帝国の郎中に任ぜられた。

その後の袁燿に関する記述は陳寿が記した「三国志」には存在しない。

三国志演義における袁燿

袁術の盟友相手・呂布の娘の婚約相手とされている。

正史では呂布の娘と袁術の子の間に婚約があった事は記されているが袁燿とは記されていない。

袁術が没し、仲帝国滅亡後は正史と違い袁胤と供に徐璆に殺された事になっている

真・三國無双における袁燿

袁術の息子として登場し、袁術軍の将として登場する。

父・袁術からは諱の「燿(よう)」と呼ばれている。呂布の娘である、呂玲綺に縁談を申し込むも呂玲綺に拒まれており、寿春の戦いでは「無理矢理妻にするも一興」と力ずくで呂玲綺を娶ろうとするも失敗し「気に入ったぞ」と笑いながら戦場を後にする。

その後、一定条件を満たすと下邳城に父・袁術と供に援軍として窮地の呂布軍を救いに来る。その際は呂玲綺に「この窮地を脱した暁には俺の妻になれ」と求婚している。

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