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ブラジルの編集履歴

2014-04-02 23:45:05 バージョン

ブラジル

ぶらじる

南米の連邦共和制国家。ラテンアメリカ最大の面積と人口とGNPを誇る。

概要

ブラジルは南アメリカに位置する連邦共和制国家。人口は世界第5位、現在経済が好調であり、既に世界9位の経済規模を誇っている。国土の北部にアマゾン川とアマゾンの原始林が広がる。


首都はブラジリア。かつてはリオデジャネイロサンパウロが首都だったこともある。


歴史

大航海時代に、航海士によってアメリカ大陸が発見されたのを機に、ポルトガルの植民地に組み込まれる。19世紀に入り、フランス皇帝ナポレオンスペイン征服の影響で、ポルトガルの王族が当時植民地ブラジルに亡命する。ナポレオン失墜後、王族のほとんどは帰国したが、このうち皇太子のドン・ペドロが帰国を拒み、それどころか本国とは別の王国の君主に即位したいということを声高に主張したのだった。こうして、ブラジル帝国として独立し、ドン・ペドロはブラジル皇帝ドン・ペドロ1世として即位したものの、国民の支持を得ることはできず、結果的に、ウルグアイの独立を招いた。即位してから10年ほどでペドロ自身は帰国することになったが、その後継者として、ブラジル皇太子 ドン・ペドロ2世が即位する。絶対君主制が強かった先代とは違い、比較的寛容な経済政策を推し進めたが、奴隷制廃止をきっかけに、軍部がクーデターを起こし、皇帝は亡命。


こうして、帝政から共和制に移行するものの、長らく軍部による独裁などで、政治的に不安定な状況が続いた。数々の独裁政権の中でも、1934年に就任したゼトゥリオ・ヴァルガス大統領時代は、最も良く知られている。ヴァルガス政権は、親米外交を展開する一方で、国民の支持の下で、数々の進歩主義的な政策を推し進めたが、同政権時代より国民の間でナショナリズムが高揚した。

その後、再び軍事独裁政権を経て、1985年に文民政権が再び誕生したのを機に、ブラジル憲法が現在の形に改正され、今の民主制に移行した。


経済と社会

ブラジルは豊富な天然資源と優秀な労働力に恵まれ、経済力のポテンシャルが高いことは古くから指摘されてきたが、不安定な政治情勢と極端な貧富の差のため経済成長が長続きせず、「永遠の未来の国」と揶揄されてきた。だが、1990年代のカルドーゾ政権時代にインフレを克服し、ブラジルはようやく安定的な経済成長の波に乗る。2002年に政権を奪取した労働者党政権は社会福祉政策・インフラ整備を重視し、国民の生活環境の底上げが急速に進んだ。穏健な左派政権のもと、貧困層が中流層へと生活水準の向上を遂げていることが経済成長の原動力になっている。現在では名実ともに南米最大の経済大国である。


しかし、ブラジルは税金がとても高く、しかも累進率が低いので低所得者にも重い負担になっているため、政権への失望から2013年には全国でデモが多発している。アマゾンの天然林破壊も相変わらず激しく、2012年にはブラジルを代表する企業ヴァーレ社がダム建設問題で世界最悪企業(二位が東京電力)に選ばれた。


かつてはコーヒーの主産地として知られたが、あまりコーヒー一辺倒になりすぎて経済がコーヒーに振り回された(モノカルチャー経済の典型である)ので、多様な作物の栽培に力を入れている。大豆の生産高は既に世界でも五本の指に入る。


文化

ポルトガル語が主たる言語。日本からの移民を多数受け入れてきたため、日系人が多い。

国花カトレア

音楽ではサンバボサノバが知られる。


スポーツ

サッカーの強豪国として知られる。その他にもバスケットボールテニスバレーボールなども強豪である。


モータースポーツが盛んであり、日本でもF1の名ドライバーアイルトン・セナが何より著名な存在で、その死に際しては国葬となったほどである。


観光

大自然はブラジルの売り物の一つである。イグアス滝アマゾン川が代表的。

リオデジャネイロカーニヴァルは世界的に有名。


関連タグ

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