人物像
1933年10月16日生まれ、東京都出身。現在はアクターズ・セブン所属。
本名・山下羨代(やましたのぶよ)(旧姓名・大山羨代(おおやまのぶよ))。夫はおかあさんといっしょの初代お兄さんである砂川啓介である。
言わずと知れたドラえもんの声優。
すでにドラえもんの声優は水田わさびに交替しているが、1979年から2005年にかけて放送されたドラえもんは「大山のぶ代版」とも呼ばれ、現在でもドラえもんの声と言えばこの人をイメージする人が圧倒的に多く、ドラえもんのモノマネをされる場合は大抵大山版である。
あまりにもハマり役であった為かドラえもん役にキャスティングされて以降はドラえもん専属の声優として専念しており、キャリアの割に演じた役は少ない。
スーパーロボット大戦シリーズで無敵超人ザンボット3が参戦した際にも同作の主人公である神勝平役を断っているが、これも、ドラえもんのキャラクターを崩したくないという理由から。
また、あまり知られていないが、放送開始時にサザエさんの磯野カツオを担当していた。しかし、放送開始から3ヵ月ほどで一身上の都合により本人の意思で番組から降板し、同役は高橋和枝が引き継いだ。
声優・女優業の他、料理研究家や脚本家、メカニックデザイナーとしても知られ、『太陽にほえろ!』の脚本を5本共同執筆しており、後に『トリビアの泉』などでも紹介された他、彼女の料理本はミリオンセラーを記録している。
また、健康に気を使っており、NHKのためしてガッテンによくゲストとして出演しているが、喫煙家でもある。
2005年にドラえもん役を降板して以降は、後進の育成やエッセイストしての執筆活動に専念し、しばらく声優業から手を引いていたが、ダンガンロンパの悪役・モノクマを演じたことでリターンを果たした。
2015年に夫により認知症を発症し闘病中である事と同時に生まれた年が1936年でなく、1933年である事が明かされた。
アルカノイド
アルカノイドがうまいことでも知られており、自身の別荘にアルカノイドの筐体を置いていたほどである。(現在は諸事情から筐体を手放しており、東京のゲーセン「高田馬場ゲーセン・ミカド」に譲渡されている)
自己記録の「およそ120万点」は、公式2位の記録に匹敵する。空港の待ち時間などで暇つぶしとして始めたのがきっかけで、それ以降ゲームセンターなどを巡り回ったという。
しかに、メカ音痴でアルカノイド以外のゲームはほとんどやらないという。
その腕前は『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)のコーナー「ムダベストテン」や『トリビアの泉』(フジテレビ系)、『ゲームセンターCX』の「たまに行くならこんなゲームセンター」などのバラエティー番組でも紹介し披露された。『中井正広のブラックバラエティ』(日本テレビ系)では助っ人として400インチの巨大画面でブロック崩し(アルカノイドではなく、任天堂が1979年に発売した家庭用「ブロック崩し」)をプレイした。
2005年に新宿にあるセガのアミューズメント施設で一日店長を務めた際には、イベントとして多くの来客の前でアルカノイドの実力を披露し、2007年には『アルカノイドDS』発売記念イベントに招かれ、マスコミ達を前にその腕前を披露した。
余談
ドラえもんや民放番組へのゲスト出演時での穏やかなイメージとは違い、芸や仕事に対しては非常に厳しい一面がある。嘗てフジテレビ系で放映されていた「快進撃TVうたえモン」にて、声優になるという企画があり、のぶ代氏も講師として参加していたが、余りの厳しさと迫力に司会の今田耕司から「デビルドラえもん」などと呼ばれていた。それから10数年…ほんとに悪魔のようなドラえもんみたいなキャラを演じることになるとは誰が予想していただろうか…