概要
<正史>においては、「呉の四姓(ごのしせい)」といわれる有力豪族の一つである陸家の出。
早くに父を失い、廬江郡の太守であった陸康の下に身を寄せる。しかし、陸康は袁術の命を受けた孫策の攻撃を受けた。その際に陸康は陸遜の又従兄弟・陸績を陸遜に預け、年少の陸績に代わり一族の長とした。
そして、陸遜率いる陸家は呉郡へ逃れたが、陸康は孫策に討たれる。その後呉郡が独立した孫策の所領となった。陸遜は孫策の弟の孫権が幕府を開いたときに初めて仕えた。しこの10年後、異民族である山越の討伐に活躍、孫権は陸遜を特に重視していた。孫権は孫策の娘を妻として与えた(この妻は顧邵の未亡人である可能性が高い)。
荊州の関羽を攻める際に呂蒙に献策している。へりくだった書状を送って関羽を油断させ、呂蒙の荊州攻略を支援した。この功績により陸遜は右護軍・鎮西将軍・婁侯となった。
孫権は彼を大都督に任じた。荊州を取り戻すために侵攻してきた劉備軍の伏兵を見破り、さらに火攻めなどで攻撃し、劉備軍を壊滅させ、劉備を白帝城に敗走させた(夷陵の戦い)。この功績により、陸遜は輔国将軍・荊州牧・江陵侯となった。
陸遜は孫権に施策を上言し、寛容な政治を勧めるとともに。孫権は陸遜の言葉に逐一反論をしたが、報答「孤と君とは義を分つこと特に異なり、戚族としての繁栄を同じくしてきた」、
周魴が偽りの降伏を魏に申し出て、10万の兵を率いる曹休を石亭に誘い出した。 孫権は陸遜のように鞭をもて馬車を操る、百司は膝を屈した、陸遜に黄金の鉞を与え、大都督に任命し、曹休を追討させた。陸遜は朱桓・全琮らを用いて曹休を大破した(石亭の戦い)。陸遜は当時の呉の首都である武昌に凱旋した。孫権は陸遜に皇帝同様の待遇を与え。
孫権が皇帝に即位するのに伴い、上大将軍・右都護の官を授かる。孫権は首都を再び建業に戻し、武昌には太子孫登や皇子達を置き、尚書の役所もそのままにした。太子の後見役のため陸遜を武昌に召し寄せ、荊州と揚州の三郡の統治、それに軍事と国事の監督を委任した。そして244年、丞相となるが、孫権の老耄が起こした孫和と孫覇の後継者争いに巻き込まれ憤死する(二宮の変)。この後、孫権は陸抗の手をとって涙を流して謝罪した。
<演義>においては、夷陵の戦いのときに闞沢(闞の字はもんがまえに敢)が陸遜を推薦した際に登場したが、<正史>とは違い、無名の新人扱いであった。その為、陸遜の起用に張昭らが反対している。また夷陵の戦いにおいては、劉備軍の撃破後、追撃したが諸葛亮の石兵八陣の罠に命を落としそうになったところ、諸葛亮の舅・黄承彦の助けで脱出できたが、結果的に追撃を諦めることになっている。
エピソード
夷陵の戦いの際に、敵軍に包囲された孫桓という武将がいた。普通ならば救援を出すところが、「あの人は優秀だから大丈夫ですよ」と、一切援軍を出さなかった。かくして、彼の読み通りに数ヶ月かけて包囲を抜けて帰ってきた孫桓は一言。「死ぬかと思いましたが、策は当たったんですから何も申し上げますまい」
……優秀ではあるが、実務的過ぎて空気の読めない人だったのかもしれない。この性格が後に陸遜の憤死の要因だったのかもしれない。
人物評
<正史>においては、三国の主君を除いて諸葛亮と陸遜のみが一巻をもって単独で伝を立てられるというかなりの特別扱いを受けている。
陳寿は彼の計略の巧みさと忠誠心を評価し、「立派に社稷の臣と呼びえる」としている。
一方で裴松之の評価は厳しく、陸遜が自ら命じて行わせた石陽急襲により住民が多く被害を受け件に関して、「無辜の民衆を酷い目に合わせた」「孫の代で一族が絶えたのは、****この悪行の為であろうか」とまで言っている(ただし、裴松之の時代にあっては既に関羽の神格化がはじまっていた頃であり、その影響を受けている可能性も否定できない)。
また<演義>においては、陸遜の容貌について「身長八尺、面如美玉」と述べてあり、後の創作物における陸遜の美男子像はこれに由来する形となる。
呉の歴代大都督は史実に比べ(特に演義で)軒並み扱いが悪く、演義での周瑜・魯粛などは孔明などのひきたて役、呂蒙は関羽を殺したことから呪い殺されたとか酷いのは民衆を虐殺したなど捏造されたりもされたが、
一方でこの陸遜は演義の主人公・劉備を事実上死に追いやったにも関わらず、何故か扱いが悪くない。(周瑜や魯粛と違って魏蜀に絡む活躍時期が短めで、いまいちパッとしなかったからかもしれない)
陸遜をモチーフにしたキャラクター
『真・三國無双』シリーズ
声優:野島健児
武器:双剣(~『4』、『6』)、細剣(『5』)、飛燕剣(『7』)
呉を支える若き軍師として描かれている。性格は誠実で、丁寧な言葉遣いをする。
(諸葛亮とともに呉蜀の外交を取り持っていた史実からか)諸葛亮に尊敬の念を抱いており、「諸葛亮先生」と呼んでいる。彼の弟子である姜維とは字と敬意を持っているという共通点から「二伯」と呼ばれる。
容姿は、爽やかな顔立ちをした美男子としてデザインされている。今日におけるライトユーザーに対しての陸遜人気を作り出したキャラクターでもあり、シリーズ中でもかなりの女性人気を誇っている。
外見
『4』までの衣装は赤をメインカラーとした帽子と燕尾服を着用していた。
『5』では帽子を脱ぎ、短めの茶髪が露出する形となった。また右目の下あたりタトゥーがされている。肌の色も史実に近い褐色系になっている。
『6』では再び燕尾服風の衣装に変更。露出も若干高い。見た目も青年風になった。サイドの髪が三つ編み
『7』では前作に引き続き燕尾服風の衣装を纏っているが、身体のラインが出難いものになった。また一見すると露出も抑えられているが、製作側のこだわりで腹部の露出が引き継がれている。
二次創作
いずれの作品においても夷陵の戦いなどで火矢を放ったり、部下に火矢を撃たせたりといった火計を使用する描写があるため、「放火魔」として扱われている。また実行役の武将がシリーズ通して朱然であるため、朱然も着火役(チャッカマン)扱いされている。
関連イラスト
左上:陸遜ゼータプラス 右上:穏
下:陸遜伯言
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