概要
当初は新車および中古車の販売を行い、BUBU(ブブ)という店舗名称を用い全国展開するまでに事業を成長させていった。
その後、社長の自動車への思いが昂じて1979年に開発部を設置。1982年2月には50ccエンジンを搭載して自動二輪免許・原付免許で運転が可能なゼロハンカー「BUBUシャトル」を発表した。
そして、同じ富山県富山市にあるタケオカ自動車工芸に開発を依頼してBUBUシャトル50を販売。その後、ゼロハンカーシリーズを展開していく。タケオカ自動車工芸とは合併や提携の話も出ていたが、折り合いが付かなかった。
1985年の新道路交通法の施行によってゼロハンカーの運転にも普通自動車免許を要するようになったのを機にレプリカカーの開発を開始。1987年に「BUBUクラシックSSK」を発表した。その後、「ラ・セード」、「ビュート」などのレプリカカーを次々と発表していく。
1994年には、「ニア・セブン」などと呼ばれるロータス・スーパー7風の車「ゼロワン」を発表、これが組み立て車として認可されたことにより、光岡自動車は10番目の国産自動車メーカーとして認められることとなる。その後もレプリカカーの販売を展開、「優雅」(ユーガ)、「凌駕」(リョーガ)、「我流」(ガリュー)など、独特のスタイリングを持った車を続々と発表していく。
2001年には初の東京モーターショーの参加を実現、初の自社開発車であるスーパーカー「大蛇」(オロチ)をショー会場で発表。その高い注目度はショーへの初出展を成功へと導いた。
2年後の2003年、商用車ショーも含めて3回目となる東京モーターショーには、大蛇のロードゴーイングバージョンと、新型ミドルクラスセダン「ヌエラ」、そして「ゼロワン・コンセプト」を出展。大蛇のエンジンはホンダからの供給が受けられなくなったためトヨタ製となり、エンジン、脚回りが変更された。
2005年の東京モーターショーでは大蛇のオープンカー版「オロチ・ヌードトップロードスター」を発表している。
現在生産している車は、殆どがオートマチック・トランスミッション仕様だが、2008年に投入された「ガリュー204」はCVT仕様とマニュアル・トランスミッション仕様が存在する(ベース車にMTの設定があるため)。
光岡自動車は自社の製造、販売以外に新車販売や直輸入車の販売、中古車の販売を行うBUBUグループの経営も行っている。このルートを通し、2000年にはロンドンタクシーインターナショナル社の総輸入元となっており、さらに2004年にはマレーシアのTDカーズ製MGレプリカカーの輸入も行っている。
なお、2007年3月には同社が運営する「ランボルギーニ大阪」の内部情報がインターネット上に公開されてしまう事件が起きている。
2012年3月28日~4月8日まで開催された第33回バンコク・インターナショナル・モーターショーで16台受注した。
グループ会社
(株)北海道ブブ
(株)M.I.D.
(株)ファーレン富山
ミツオカモータースアメリカInc.
ミツオカモータータイランドCo.,Ltd.
ミツオカモーターセールスタイランドCo.,Ltd.
拠点(グループ)
北海道、宮城県、栃木県、群馬県、千葉県、埼玉県、東京、神奈川県、愛知県、富山県、大阪、兵庫県、福岡県、米国(ロサンゼルス)、タイ(バンコク)
キットカー
光岡では「キットカー」と呼ばれる、自分で組み立てる50ccクラスの小型車の開発も手がけていたが、販売については、会長の光岡進と社長の光岡章夫との間で意見の相違があった。
章夫は利益の上がらないキットカーの販売は取りやめるべきとしていた一方、会長の進はキットカーこそが光岡自動車の創業の意義であるとし継続を主張していたが、結局進のほうが折れた。
その後50ccのマイクロカー「K-3」を100台だけ限定生産し、2006年11月にキットカー「K-4」の受注を開始、限定220台で発売、この「K-4」を最後に2サイクルエンジン搭載のミニカーは生産終了となった。なお「K-3」は発売後一週間で全て売り切れており、プレミアをつけて転売している店も存在する。