「そよ風(ゼファー)、と呼ぶには強烈すぎた。」(ヒーロー列伝より)
※現役時代の馬齢は旧表記で記載する。
生涯
父は「マイルの皇帝」と呼ばれたニホンピロウイナー。
3歳になった1990年に美浦トレーニングセンター・栗田博憲厩舎に入厩するが、骨膜炎を発症しデビューが翌年まで遅れてしまった影響でクラシック戦線には間に合わなかった。
1991年(4歳)
ダート戦でデビュー2連勝を飾った後、横山典弘を背に初の重賞となるクリスタルカップ(GⅢ)に挑戦するが3着だった。
秋の初戦は7着だが、騎手が蛯沢誠治に代わった12月の条件戦を勝利し、初のGⅠスプリンターズステークスに挑んだが、ダイイチルビーの7着に終わった。
1992年(5歳)
古馬になった1992年にはオープンクラスに昇格し、春の安田記念を目標に定めて挑んだ前哨戦の京王杯スプリングカップ(GⅡ)は3着だった(ここから騎手は田中勝春に交代)。
そして本番の安田記念では、11番人気ながら勝利。初の重賞勝利がいきなりのGⅠ勝利となる。
騎手の田中もこれが初のGⅠ勝利であり、父ニホンピロウイナーも1985年に勝っているので父子制覇も達成した。
秋戦線はマイルチャンピオンシップおよびスプリンターズステークスを目標にしたが、セントウルステークス(当時GⅢ)は2着。マイルチャンピオンシップはダイタクヘリオスの5着に敗れた。
年末のスプリンターズステーkスはニシノフラワーにクビ差で敗れて2着だった。
1993年(6歳)
騎手が田原成貴に代わった6歳初戦のマイラーズカップ(GⅡ)はまたもニシノフラワーに敗れて2着。
騎手が柴田善臣に代わって前年は3着だった京王杯スプリングカップを勝利すると、連覇を賭けて挑んだ安田記念は、ニシノフラワー、シンコウラブリイらを抑えて勝利し、安田記念初の連覇を達成。柴田善臣はこれが初のGⅠ勝利となり、2人の騎手にGⅠ初勝利をプレゼントした稀有な馬となった。(他にはアルアイン(皐月賞では松山弘平、大阪杯では北村友一)がいる。)
なお、安田記念を連覇した馬は、他はウオッカ(2008年・2009年)だけである。
秋戦線は春から大目標に定めていた秋の天皇賞を目指して調整した。
前哨戦の毎日王冠(GⅡ)は6着に終わった。
そして秋の天皇賞は、セキテイリュウオーとの一騎打ちをハナ差で制し、GⅠ3勝目を挙げた。
なお、セキテイリュウオーには前年共に安田記念を勝った田中が騎乗していた。
年末のスプリンターズステークスはサクラバクシンオーの2着になり、これを最後に引退。
この年は最優秀5歳以上牡馬、最優秀短距離馬、最優秀父内国産馬の3つのタイトルを獲得した。
年度代表馬の有力候補にもなっていたが、こちらはビワハヤヒデが受賞した。
引退後
引退後は種牡馬となり、初年度産駒から武蔵野ステークスを勝ったサンフォードシチーを輩出した。
彼の産駒が走るときには、「ゼファー魂」と書かれた横断幕が掲げられた。
2009年に種牡馬を引退し、2017年5月16日に老衰のため29歳で死去した。
ライバルのシンコウラブリイとは2勝2敗、イクノディクタスとは4勝0敗、、ニシノフラワーとは1勝2敗、ムービースターとは3勝1敗。
関連動画
20世紀の名馬第67位
1993年天皇賞(秋)
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トウカイテイオー:同世代であるが、一度も対戦がなかった。