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甲越和与の編集履歴

2022-10-17 23:10:03 バージョン

甲越和与

こうえつわよ

戦国時代に締結された、武田家と上杉家の和睦。名前の由来は、お互いの本拠地である甲斐(現在の山梨県)と越後(現在の新潟県の本州の部分)の頭文字から。

概要

かつて、武田信玄上杉謙信川中島の戦いで5回争った。しかし信玄の死後、天正3(1575)年に武田勝頼(信玄の後継者であり嫡男でもあり四男)と謙信は、織田信長による軍事的脅威に対抗するために和睦(甲越和与)する。それ以降両者の関係は友好になり、共同で第三次信長包囲網毛利輝元本願寺顕如たちと共に結成し、謙信は手取川の戦いで織田軍を撃破した。


甲越同盟

謙信の他界後、武田家上杉家の連携をさらに強化するため、天正7(1579)年に勝頼と上杉景勝(謙信の後継者であり養子でもあり甥)は同盟(甲越同盟)を締結した。

詳しくは、甲越同盟参照。


関連タグ

甲越同盟

武田家 上杉家

武田勝頼 上杉謙信

信長包囲網 手取川の戦い

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