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震電の編集履歴

2023-01-29 11:37:59 バージョン

震電

しんでん

旧・日本海軍が試作した局地戦闘機(迎撃戦闘機)。機体後端に推進式プロペラを備えたエンテ翼という特異な形状からフィクション作品でよく取り上げられる。

曖昧さ回避

  1. 機体略号J7W1。第二次世界大戦末期、日本海軍が試作した単発単座の局地戦闘機
  2. アニメ「ストライクウィッチーズ」シリーズに登場するストライカーユニット。
  3. ゲーム「新世紀エヴァンゲリオン 鋼鉄のガールフレンド」に登場するトライデント型陸上軽巡洋艦 (LAND CRUISER T・SHINDEN・T)。
  4. アニメ「ガサラキ」に登場するタクティカルアーマー。17式改。

1.第二次世界大戦末期の戦闘機

機体後部に推進式プロペラ、機首付近に小翼を配した機体形状は『前尾翼型』(「カナード」「エンテ型」などとも)と呼ばれるもので、B-29迎撃の切り札として期待されていた。1945年6月に試作機が完成、同年8月に数度の試験飛行を行った所で終戦。実戦投入には至らなかった。


設計は鶴野正敬大尉。テストパイロットも務めており、

ぼくのかんがえたさいきょうのせんとうき」を自分で作って自分で飛ばすという、男の子の夢を叶えた稀有な人物である。


現在、アメリカで試作一号機が分解状態で保存されており、胴体が展示されている。


末期の迎撃戦闘機

1945年8月3日、試作機の初飛行に成功(250km/h)。その後6日、8日と試験飛行が行われたがエンジンが故障し、部品を取り寄せている間に太平洋戦争が終結してしまった。


どうにか初飛行を終えただけであり、問題点を洗い出すにも至らなかった。

全開テストが行われなかったので性能は不明。

採用したエンジンは三菱の「ハ43」だったが、こちらもキ83烈風の量産初号機に搭載されたエンジンで、大戦中には大量生産段階に入れなかった為、量産時の性能(特に量産初期型)には疑問が残る。


例え実用化されたとしてもエンテ式は操縦性がシビアで、当時の日本の状況から使いこなせるパイロットを養成できたかには疑問が残る。

最高速度750km/hが計画されていたが、当時アメリカ陸軍はP-51H(759km/h)の配備を計画しており、速度面でも優位は得られなかった。


『なにもかも遅きに失した戦闘機』だった。


ただ、同時代の日本軍戦闘機に類を見ない特異な形状と、カタログデータ上は群を抜く速度性能から、架空戦記などでは活躍の場が多く、たいていは烈風と共に最強クラスの戦闘機として君臨する。

実際の震電はB-29の迎撃に全振りした設計だった(空戦フラップの搭載を要求する声もあったが、必要なのは格闘戦能力ではなく高速性であるとして却下された)のだが、そんなことはお構いなしに戦闘機とドッグファイトを行う作品も多い。

ジェット化したタイプも登場し、そちらは便宜上震電改と呼ばれるが、史実においてジェット化についての具体的なプランは存在せず、「ジェット化できるかもしれない」という思い付きの走り書き程度にとどまっていた。


エンテ式

当時、エンテ式の機体は各国で開発作業が進められていた。運動性に優れ、高速化に有利で、機銃などの武装を機首に集中配置でき、戦闘機として大いに期待されたのである。が、だが一つとしてモノになるものは無かった。エンテ翼は運動性が軽快になる反面、操縦性は(極めて)神経質になってしまうのである。


この問題はコンピュータによる飛行制御(FBWやCCV)が出来るようになるまで残り、つまり1970年代以降を待たなくてはいけない。


なお、こんなリスキーな代物を採用したことについて、設計者の鶴野大尉は「つい、やっちゃったんだZE☆」とコメントしている。非常に男のロマンがわかる御方だったようだ。ただし震電の実験機(実機と同形状、同寸法のモーターグライダー)に限って言えば通常の牽引式飛行機に比べ操縦感覚の違いはほとんどなかったという。


九州飛行機

WIKIによると、現在のJR南福岡駅から陸上自衛隊福岡駐屯地周辺に雑餉隈工場があった。

1953年、春日市に移転し、「渡辺自動車工業」として再出発。

1958年、航空機製造技術をバス車体製造に応用して西鉄の傘下に入り、西日本車体工業の一員となる。

1992年に佐賀県基山町に移転するも、2001年に解散した。最後に工場を構えた跡地には、現在、こちらも西鉄の関連会社である西鉄車体技術の工場が存在する。

なお、源流企業であり航空機製造部門を九州飛行機として分離した渡辺鉄工所(現・渡辺鉄工)は帝国海軍の艦艇用魚雷関連機器製造メーカーとして有名であり、現在も海上自衛隊向け艦艇用魚雷発射管を製造している。帝国海軍航空機でのメーカー記号「W」は渡辺鉄工所の頭文字が由来である。


余談

  • アメリカ陸軍でもカーチスXP-55という先尾翼の推進式レシプロ戦闘機が試作されていたが操縦性に問題があり開発は中止された。愛称はアセンダー(ASCENDER)。
  • 同時期に実用化に成功した推進式プロペラ戦闘機としてはスウェーデンのサーブ21があるが、エンテ式ではなく双ビーム式である。ジェットエンジンへの換装も実現したが、機体は50%再設計した。
  • 当時の鶴野大尉へ向けられた批判に「自然界に存在しない形状には何らかの欠点がある」というものがあったとされるが、エンテ式とおぼしき滑空生物もいる。
    • 後ろ脚にある皮膜で滑空したとされる爬虫類・シャロビプテリクスの化石が見つかっている。前足の状態は判然としていないが、おそらく小さな皮膜があってエンテ型飛行機のような姿で滑空したのではないか、とされている。シャロビプテリクスが生息していたのは三畳紀(約2億5100万年前~約1億9960万年前)。
    • 現生生物でもトビイカはえんぺらが前翼、腕の間の皮膜が主翼のような配置で、漏斗から水を吐いてジェット推進で加速し滑空する。

2.ストライカーユニット

最後の烈風斬

扶桑皇国の新世代ストライカーユニットの1つ。2期で宮藤一郎博士から娘の芳佳に宛てられた手紙によって完成に至っている。遣欧艦隊の旗艦「大和」に積まれていた試作1号機を芳佳が装着して使用し、以降は彼女の専用機となる。最終話で烈風丸と共に海岸に打ち捨てられていたが、劇場版で回収・修復経て芳佳の元に戻ってきた。

3期では当初は震電ではなく紫電二一型が支給されたが、第10話から登場する。「オペレーション・サウスウィンド」で芳佳の決戦兵器として送られたが、芳佳はその時魔法力を消耗してしまい作戦から外されたため使えなかったが、12話で服部静夏が一時装着して飛行した後、魔法力が復活した芳佳が装着してネウロイの大群を圧倒していた。

製造元は筑紫飛行機となっている。


開発秘話

新世代ユニットとして開発が進められていたが、宮藤博士のメモで完成した新型エンジンには宮藤芳佳と同等レベルの魔力があるウィッチでないと起動すらままならないという実用上の難点が発見され、そのエンジンを乗せた試作機が彼女に送られた。しかし、実用製品としては失敗作になりかねないため、エンジンなどを敢えてデチューンした仕様が造られたという。その点では聖剣の名を持つ可変戦闘機と同様の設定となっている。


3.艦隊これくしょん

艦隊これくしょんと兵器コラボ 「金剛姉妹の鎮守府に震電が来たよ」

ブラウザゲーム艦隊これくしょん」では計画のみに終わった「震電改」が空母搭載用の艦戦として実装された。

艦これ初のイベント敵艦隊前線泊地殴り込みの突破報酬として配布され、以降はランカー報酬としても再配布されていない。

最初期の機体のため索敵、命中、回避、対爆などの付加性能はないが、制空値は+15と現在でも最高である(最大改修した「零式艦戦53型(岩本隊)」でも制空値+14)。


関連タグ

宮藤芳佳 雷電 アイン(彩京) 戦国エース ストライカーズ1945 サムライソード

福岡空港:試験飛行が行われた

ああっ女神さまっ:戦闘機「震電」が登場した作品

曉!!男塾 青年よ、大死を抱け:同上

荒野のコトブキ飛行隊:同上

ARIEL:同上

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