『ビザンツ的』なりのヴァイキングのイラスト
表記など
- 英: Viking,
- 独: Wikinge
古代北欧世界の侵略先住戦闘民族の通称、海戦などが得意である。
この先住民族の特色が残っているのはデンマーク・ノルウェー・フィンランド・ウクライナ・べラルーシなどの北極圏の国である。
東欧のヴァイキング
- この項はまだよく解かりません。
ルーシー族(後のロシア人を名乗る民)
ロシアの神代時代に登場するルーシー族は北欧のウクライナ方面からヴァイキングの一氏族だといわれているが、実際のところは解かっていない。(解かっていないというより、重要な人物などの時系列を追うのが非常に面倒臭いかんじかもしれない。)
東ローマ帝国軍として
ヴァイキングの戦闘力は中世ヨーロッパ世界でもかなり有名であり、後世海賊・野蛮人の通称となるほどであった。
しかも当時の彼らは移動民族であったので、賃金目当てで傭兵の様な事も行うことがあった。とくに中世の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の主力となったことが何回もあるらしい、(逆に彼らの忠誠心のなさに逆にボコボコになる時もあったそうだが、東帝国末期はルーシー族の軍団にボコボコになり形勢が逆転した。)
このときの主力のヴァイキング軍団というのが特にキエフ大公国・モスクワ大公国を経由してくる軍団であり、ロシア人の部隊だといわれることがある。
よって時代によってはロシア人(ロシア軍)がローマ帝国の軍団として主力として付き合った期間が長かったようだ。そうしているうちにルーシのヴァイキング軍団もローマ帝国軍の体制や様式をとりいれた。ソ連軍。
今日のロシア連邦軍の様式もローマ帝国軍の様式に酷似していると思われる(おそロシアの雰囲気はローマ帝国に通ず)
ローマ帝国軍は(ウラー)の部分がインペラートルなんだろうね。)
ルーシ族(ロシアの民)のキリスト教化と文化・服装のローマ風化
しかもその当時のロシア軍がローマ帝国軍として付き合っていたときに『キリスト教(オーソドクス)』に帰依することになったそうだ、それ以前まではロシアの民も独自の神話を持っていた(チェルノボーグ)など
文化や・服装もローマ風(ビザンツ)から取り入れていったところが多くなり。だいたい今日で正統的に表わされるヴァイキング衣裳はだいたいビザンツぽい所が多いようである。
ヴァイキングの終焉
その後キリスト教文明が東欧まで深く浸食するにつれてヴァイキング自身がキリスト教文化に染まっていき、独自の時代の物は討ち捨てられたようである。
結局他の中世ヨーロッパの王国と価値観がそんなに変わることはなくなった。
ヴァイキング文化を打ち捨てられていくうちに『ビザンツ文化』も遠いものとなっていたようで。『第3のローマ』を標榜するビザンツ文明国家のロシアなどとも遠くなっていったようである。