概要
榛霧とは、戦艦「榛名」と「霧島」に付けられるコンビタグである。
両者の性質上、主にこれらの戦艦をモチーフとした擬人化キャラクターに用いられる。
榛霧タグのついた作品としては、深夜隊と艦隊これくしょんのものがある。
榛名と霧島
『丸 エキストラ版(第六集)』のP.238〜239に「榛名はホロびず」というよもやまばなしが掲載されているのだが、ここに興味深い記述がある。
明治四十四年一月に、イギリスで起工した巡洋戦艦金剛にならつて、同年十一月に、同型艦比叡を横須賀海軍工廠で起工した。
榛名と霧島は、はじめて民間工場で建造させることとし、神戸の川崎造船所で榛名、長崎の三菱造船所で霧島を、しかも一日違いで(榛名の方が一日早い)起工した。
ところが、はじめは、川崎の方が霧島、三菱の方が榛名と命名されることになつていた。
これは、おかしい。
なぜなら、神戸で造つたものは所属軍港は横須賀、長崎は佐世保になるはずのところ、榛名山は関東にあり、霧島山は、いうまでもなく、九州にある。
どうだろう。艦名を入れ替えた方が、スジが立つぞと、海軍省に申入れた。
なるほど、そういわれれば、そうである。
早速艦名が入れ替つた。
もし、モトのままだつたらば、榛名の船体は、ガダルカナルで沈没していたはずであつた。
榛名の建造の経緯
本艦は当初「第二号装甲巡洋艦」として計画され、1911年4月、神戸川崎造船所(のちの川崎重工業)に発注された。本艦は、それまで海外発注か海軍工廠でしか建造されることのなかった、いわゆる主力艦として初めて民間造船所に建造発注された艦である。一方、三菱合資会社長崎造船所(のちの三菱重工業)にも「第三号装甲巡洋艦(のちの霧島)」が発注され、工程の進捗状況がほぼ同時であったことから、両社は激しい競争意識をもって建造に当たることになる。
工事もかなり進んだ1914年、1つの悲劇が起きる。この年の11月18日に機関の繋留試運転が予定されていたが、直前に故障が見つかったため予定が6日遅れることとなった。本来であれば試運転が実施されるはずだった18日の朝、機関建造の最高責任者であった川崎造船所造機工作部長・篠田恒太郎(しのだ・こうたろう)が自刃してしまったのである。遺書などは無かったが、繋留機関試験遅延の責を感じた上だということは明らかであった。当時の軍艦建造は、それほど重大な責任感を持って行われていた。
篠田の死から半年後、巡洋戦艦榛名は、同型艦霧島と同時に竣工、海軍横須賀鎮守府に引き渡された。ちなみに、なぜ榛名と霧島が同時に竣工したかと言うと、先の悲劇を重く見た海軍が、両造船所のメンツが立つよう配慮したためである。とにかく、これ以降、民間造船所でも主力艦の建造が行われるようになる。
「艦隊これくしょん」の榛霧
『艦これ白書』で初めて、榛名と霧島は「竣工が同日の双子」であると明記された。それぞれのページでは「霧島」「榛名」とお互いのことを呼び捨てにしている。また、榛名のほうが起工が1日早いため、彼女が姉であるとも述べられている。
しかし、霧島が榛名を姉として敬っている様子は特に見られない。ゲーム上の図鑑では「姉妹艦の榛名には、頭脳は負けないわよ?」と発言しており、むしろライバル視しているようだ。姉と妹の関係ではあるが、双子のため、対等な存在なのかもしれない。
ちなみに、竣工日が同じ=双子として扱われる事例は他にも、村雨と夕立の組み合わせがある。こちらは公式絵師の玖条イチソ氏がTwitterで「(よくみないとわからないレベルで村雨夕立の双子要素をぶっこんでるとか言えない)」とつぶやいており、意図的にそれを示す要素が盛り込まれている。
関連イラスト
別名・表記ゆれ
関連タグ
比金…2人の姉のコンビタグ