工作艦明石は、旧日本海軍史上、工作艦として建造された唯一の艦艇。
いわゆる移動型工廠を備えていると言われるほどの修理・工作設備を有し、平時の年間修理量の4割を一隻で行うことが出来た。そのため米軍からは最優先の攻撃目標としてマークされていた。
太平洋戦争中は主にトラック環礁に所在し、ソロモンなどの前線で傷ついた艦船の修理に当たっていた。
1944年2月17日のアメリカ軍機動部隊のトラック島空襲で損傷し、パラオに後退。これはトラックが基地機能を失った一つの例である。そして同年3月30日、パラオをも襲った米軍機動部隊によりついに撃沈された。