明石(工作艦)
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あかし
明石とは、日本海軍唯一の新造工作艦である。
工作艦明石は、旧日本海軍史上、工作艦として建造された唯一の艦艇。
1934年竣工。
いわゆる移動型工廠を備えていると言われるほどの修理・工作設備を有し、平時の年間修理量の4割を一隻で行うことが出来た。そのため米軍からは最優先の攻撃目標としてマークされていた。
太平洋戦争中は主にトラック環礁に所在し、ソロモンなどの前線で傷ついた艦船の修理に当たっていた。
1944年2月17日のアメリカ軍機動部隊のトラック島空襲で損傷し、パラオに後退。これはトラックが基地機能を失った一つの例である。そして同年3月30日、パラオをも襲った米軍機動部隊によりついに撃沈された。
同年5月10日除籍。
なお船体は戦後も長らく現地に残されていたが、1954年に解体が行われている。
蛇足になるが、明石の艦名は実は2代目で、それ以前にも日露戦争の頃に初代にあたる戦艦明石が存在した。
また1969年、海自初の海洋観測艦として「あかし」が登場した。
目的は海上作戦の効率的な遂行のための海洋環境資料の収集で、海底地形・底質や潮流・海流、地磁気、水質(水温・塩分など)や海上気象などを相互に関連付けて、精密に測定する事が可能。
1973年には映画「日本沈没」に登場。
1999年3月24日除籍。
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