C12
しーじゅうに
概要
国鉄C12形蒸気機関車(こくてつC12がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した過熱式のタンク式蒸気機関車である。
特に決まった愛称は無く、シージュウニと形式どおりに呼ばれる事が多い。
軸重制限のある簡易線規格路線用の小型軽量な機関車として設計され、本形式からテンダー式のC56形が派生した。
誕生までの経緯
昭和時代に入り主要幹線の整備が一通り終わると、大きな需要の見込めない閑散支線の建設が進められた。しかし折から経済恐慌が深刻化し、建設費を安く抑えるため簡易線が数多く建設された。このような路線には軸重が軽く、運転コストの安い新型の小型機関車が要求されたため、C12形が製造されることになった。
外地に渡ったC12形
C12形はC56形とともに軽量小型を買われ、戦時中の作戦に用いるため軍部の徴発を受けることになった。1938年(昭和13年)から1939年(昭和14年)にかけて60両が1m軌間に改造され、北支(中国大陸)の華北交通へと送られている。中華人民共和国成立後は、プレ51形、その後PL51形と改称され、そのうち一部は後にベトナムに送られ、PL131型として専用線で健在である。
1943年(昭和18年)には2両が供出され、1067mm軌間のままジャワに送られている。戦後はインドネシア国鉄に編入され、C32形(C3201,C3202)となって、1970年代まで使用された。
他に樺太や海南島に渡ったC12形がいたが、戦後の消息は不明である。
(樺太向けの一部は後に鉄道省籍に編入された)
台湾向けC12形
台湾総督府鉄道向けに7両製造された。外観は、製造時から内地向けC12には無いC56のようなデフレクター(除煙板)が標準装備とされており、内地向けとは印象が異なっている。戦後は台湾鉄路管理局に引き継がれCK120形と名乗り、前面にカウキャッチャーが追加、ライトが独自仕様のヒサシ付きシールドビーム化され、1970年代後半まで活躍した。
私鉄向けC12形
鉄道省向けばかりでなく、私鉄向けに製造されたC12形も存在する。中には戦時買収により国鉄籍に編入されたものもいた。代表的なものに島原鉄道向けや南薩鉄道(後の鹿児島交通)向けなどがある。特に島原鉄道のC12形は戦後すぐにお召し列車の牽引を行い有名になった。
保存機
動態保存機としては真岡鐵道に66号機、大井川鐵道(日本ナショナルトラスト所有)に164号機が動態で保存されている(C12 164はATS設置要請に伴って2005年4月から運転休止中。募金活動実施中)。台湾でもCK124号機(旧台湾総督府鉄道C12 4)が動態保存機として活躍している。なお、CK124号機は現役時代同様デフレクターを装備しているほか、白・赤・黄色の色彩帯を使用した独自の派手目な装飾塗装、長距離運転用に貨車を改造した炭水車がほぼ常時増結状態で運用されているのが特徴である。
また、静態保存機の中でも、若桜駅に現在置かれているC12 167については、駅構内の専用線路での自力走行を可能にするべく整備が行われ、現在は、コンプレッサーによる圧縮空気を動力源として、展示線にて運転が行われている。
このほか、全国各地に静態保存機が存在する。