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山風の編集履歴

2016-03-01 16:10:32 バージョン

山風

やまかぜ

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曖昧さ回避

  1. 夜に山岳の空気が尾根から谷、谷から平野部へ吹き下ろす冷たい風のこと。山谷風とも。
  2. 旧日本海軍が運用した駆逐艦。海風型と白露型の2隻が存在した。本項で解説する。

海風型駆逐艦「山風」

略歴

1910年甲号大駆逐艦として三菱長崎造船所で起工。
1911年海風型駆逐艦2番艦「山風」として竣工。第十六駆逐隊所属。
1914年第一次世界大戦勃発。第一南遣部隊に所属、南洋方面で活動。
1918年第一次世界大戦終結。4月、第二駆逐隊に変更、一時離脱するが7月に復帰。11月、第三十二駆逐隊に変更。
1922年12月、第十七駆逐隊に変更。
1930年6月、掃海艇に類別変更、「第八掃海艇」(2代)に名称変更。
1936年4月、除籍。

概要

日本海軍初の1000トン級駆逐艦海風型の2番艦。第一次世界大戦では南洋活動に従事。後に魚雷管と一部砲を撤去し作業甲板とし、1930年に掃海艇に類別変更、名称も「第八掃海艇」となった。1936年4月1日除籍。


白露型駆逐艦「山風」

略歴

1935年白露型駆逐艦8番艦として浦賀船渠にて起工。
1937年「山風」として竣工。「海風」と第二十四駆逐隊を編成。後に「江風」「涼風」も編入される。
1941年太平洋戦争勃発。南方部隊に所属しレガスピー上陸作戦、ラモン湾上陸作戦に参加。
1942年蘭印部隊に所属し蘭印作戦に参加。スラバヤ沖海戦、ミッドウェー海戦といくつかの輸送作戦に参加。6月、単独航行中に敵潜の雷撃により沈没。

概要

一等白露型駆逐艦の8番艦。改白露型と呼ばれることもある。「マル2計画」で計画・建造され、「海風」、「江風」、「涼風」と共に第二十四駆逐隊を編成した。南方作戦、蘭印作戦の多くの上陸、攻略作戦に参加し、タラカン攻略作戦では蘭敷設艦「プリンス・ファン・オラニエ」を共同撃沈、また2月に浮上中の敵潜を砲撃で撃沈する戦果を上げた。スラバヤ沖海戦には第五戦隊の指揮下で参加するもほとんど戦果はなく、フィリピン攻略作戦後のミッドウェー海戦では主力部隊の護衛として参加するも機動部隊全滅により撤退。1942年6月23日、大湊から柱島への回航中、東京湾沖にて米潜水艦「ノーチラス」による雷撃を受け沈没。生存者はいなかった。8月10日付けで除籍。

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