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赤ツェペの編集履歴2016/05/28 14:38:40 版
編集者:kanossa
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史実

1935年ドイツ軍は空母設計技術がなかった為、同盟国である日本に協力を打診。

その際に参考にされたのが赤城であった。

ただ赤城は元々巡洋戦艦であったこととまだ空母運用が確立してない時期であったこともあり、実際に採用されたは中央エレベーターなどの一部である。

空母の設計運用は機密事項でもあるが、実際に乗艦のさせ見学させるなど、かなり協力的であった。

その後、進水の際には日本の武官を招待した。

この赤城の件の見返りに、九九式艦上爆撃機や大和型戦艦建造用の機械・技術が提供された。

その後ミッドウェー海戦で空母4隻を失った日本はドイツにグラーフの購入を持ち掛けるが、戦時下の中で極東まで回航ということもあり、拒否する。

もしこれが実現してされていたなら、最後まで完成しなかったグラーフがドイツもしくは日本の手で就役したかもしれない。

その代わりに神戸港に係留されていた商船シャルンホルストが売却され、護衛空母「神鷹」となった。

最後まで直接出会うことはなかったが、日本とドイツを技術提供で繋ぐ関係であったのかもしれない。

艦隊これくしょんに於いて

他の艦娘からのボイスで赤城が主体となって行動したと読み取れるのはグラーフに対して赤城が「セーキクーボノカの会」に誘ったことだけである。

グラーフのボイスで赤城が出る回数は4回、これは加賀に次ぐ回数である。

ちなみにグラーフ実装まで赤城が261mで最長であったが、グラーフが262mなので2番目になった。

栄光の機動部隊旗艦として戦いの中で散った赤城と最後まで完成せず戦うことが出来ずに自沈したグラーフ。是非艦隊運用してみてほしい。

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