史実にまつわるエピソード
1935年、空母の設計技術がなかったドイツは、同盟国である日本に協力を打診。
その際に参考にされたのが赤城であった。
ただ、赤城は元来が巡洋戦艦であったことと、未だ空母の運用法が確立してない時期であったこともあり、実際に採用されたのは中央エレベーターなどの一部に留まる。
空母の設計運用は機密事項でもあるが、実際に来訪者を乗艦させ見学させるなど、かなり協力的であった。
その後、進水の際には日本の武官が招待された。
また、この赤城の件の見返りとして九九式艦上爆撃機や大和型戦艦建造用の機械・技術が提供されている。
その後の太平洋戦争におけるミッドウェー海戦で空母4隻を失った日本はドイツにグラーフ・ツェッペリンの購入を持ち掛けるが、戦時下の中で極東まで回航ということもあり、却下されている。
もし、これが実現されていたなら、最後まで完成しなかったグラーフがドイツもしくは日本の手で就役したかもしれない。
グラーフの購入は叶わなかったものの、その代わりとして神戸港に係留されていた商船シャルンホルストが売却され、改装を経て護衛空母「神鷹」となった。
両者共最後まで直接相まみえることはなかったが、日本とドイツを技術提供で繋ぐ関係であったのかもしれない。
『艦隊これくしょん』に於いて
他の艦娘のボイスから赤城が主体となって行動したと読み取れるのはグラーフに対して赤城が「正規空母の会」に誘ったことのみである。
ボイスに於いて赤城に「さん」の敬称を付けてないのは龍驤とグラーフだけである。
グラーフの発言で赤城の名が出る回数は4回、これは加賀(8回)に次ぐ回数である。
ちなみにグラーフの実装まで赤城が全長261mと空母勢最長であったが、グラーフが262mなので2番目になった。
栄光の機動部隊旗艦として戦いの中で散った赤城と、最後まで完成する事なくソ連の標的艦として海中に没したグラーフ。両者ともにレアリティが高い(特にグラーフ)為に決して入手は容易ではないが、彼女達を迎える事ができたら是非艦隊に組み入れて運用してみて欲しい。