ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
GT-Rの編集履歴2016/08/20 19:36:34 版
編集内容:細部の追記

GT-R

じーてぃーあーる

日産が販売しているスポーツカー。かつて販売されていた「スカイラインGT-R」もここで記述する。

モデル

第1世代(1969年-1972年)

初代 前期PGC10型(1969年-1970年)・後期KPGC10型(1970年-1972年)

1969年に登場したのがハコスカGT-RことPGC10型である。

レースにデビューするや否や勝利を重ね、1972年までに50勝という前人未到の記録も達成した(2ドアの勝利も含む)。

1970年にはマイナーチェンジで2ドアハードトップが発売されたことにより、GT-Rも2ドアがベースになっている。

値段は150万円という高額だった(GTが80万円くらい)。

総生産台数はPGC10型が832台、KPGC10型が1,197台。

余談ではあるが、レース仕様のS20型エンジンは10000回転以上ぶん回してもブローしなかったという逸話がある。

2代目 KPGC110型(1973年)

1973年、前年にモデルチェンジしたC110系2ドアをベースに、先代同様S20型エンジンを積んだKPGC110が登場。

しかし、ハコスカよりも45㎏も重く、燃料タンクの容量もおよそ半分(55リットル)となっており、レーシングカーというよりGTカーという面が強かった。

ちなみに、リアブレーキがハコスカがドラムだったのに対し、ケンメリはディスクになっている。

しかし、排気ガス規制には打つ術がなく数か月で生産中止に追い込まれてしまう。

そのため生産台数は197台とかなり希少で、うち2台はレース仕様試作車。

第2世代 (1989年-2002年)

3代目 BNR32型(1989年-1994年)

1989年、8代目スカイラインの登場と同時に発表。

ケンメリGT-Rの生産中止から16年、ようやくのGT-R復活である。

これでもかというほど最新技術が詰め込まれており、世界各地のツーリングカーレースで暴れまわったことでも有名である。

特に全日本ツーリングカー選手権での活躍はもはや伝説級。R32がデビューしてからレースが廃止されるまで全戦優勝という暴れっぷりを見せた。

しかし、GT-Rが登場するまで活躍してたフォード・シエラやトヨタ・スープラなどを結果的には追い払ってしまい、最終的にはGT-Rのワンメイク状態になってしまっていた。

N1耐久参戦のためのN1、グループAのホモロゲーションを満たすために販売されたNISMO、ブレンボ製のブレーキを装着し、タイヤも大きくしたVスペックなどがある。

Vスペックは、翌年に45扁平のタイヤを装着した(Vスペックがデビューしたころには認可が下りなかった)VスペックIIに進化している。

生産台数は4万台を超え、いまだに人気が高い。

余談ではあるが、ニュルブルクリンクでのテストの際、S13シルビア風の偽装を施してテストしていた。

4代目 BCNR33型(1995年-1998年)

1995年発売。ベース車から2年近く遅れて発売された。

R32時代では途中から設定されたVスペックやN1は、デビュー当初から設定されていた。

ECUの進化、アテーサE-TS PROとアクティブLSD(Vスペックのみ)などとこちらも最新技術のオンパレードだった。

・・・が、車体サイズの拡大と車重の増加により、R33は失敗作扱いされてしまっている。

全然そんなことはないのだが、大きくて重いボディという数値的な面でマイナスなイメージが強くなってしまったようだ。

ちなみに、車体サイズの拡大にはれっきとした理由があるのだが、ここでは割愛させていただく。

その影響もあり、生産台数は約1万6000台とR32の半分以下になっている。

・・・まぁ、R32の頃はバブル景気の影響もあったのだろうけど。

ル・マン24時間耐久への参戦や、イギリスで100台の限定販売など、海外にGT-Rの名を広めるきっかけになったとも言われている。

1998年にはオーテックからハコスカ以来の4ドアGT-Rも販売されている。

※4ドアGT-Rの該当イラストありませんでした

5代目 BNR34型(1999年-2002年)

1999年発売、最後のスカイラインGT-Rとして人気がある。

R33で不評だったボディサイズは縮小され、ディフューザーを装着して空力性能も向上している。

また、ミッションも従来の5速マニュアルから6速マニュアルに変更されている。

他にも、マルチファンクションディスプレイを採用しており、過給圧や水温油温、スロットル開度などが表示され、スーパー耐久では重宝されたとか。

2000年にはマイナーチェンジが行われ、Vスペックに代わってVスペックIIが登場。

カーボンボンネットを採用したことで話題になった。

2001年には乗り心地重視のモデル、Mスペックを追加設定。

足回りのセッティング変更や本革シートの採用などで、快適性が大幅に向上している。

乗り心地重視とはいえ、基本的なセッティングはVスペックIIとほぼ同じため、サーキットでもVスペックIIと同等のタイムで走ることができた。

・・・しかし、2002年にはまたしても排ガス規制により生産終了。

生産終了直前にVスペックIIとMスペックに「ニュル」を設定。VスペックIIニュルとMスペックニュルを500台ずつ販売し、瞬く間に完売している。

生産台数はおよそ1万1300台。

その生産台数の少なさと、歴代GT-Rの中でも一、ニを争うほどの人気によって、中古価格は1000万円の値段がつけられることもある。

第3世代 R35型(2007年~)

2007年、5年もの沈黙を破ってついに登場した。

新しく登場したGT-Rはスカイラインの1グレードではなく単に”GT-R”という独立した車種となり、スカイラインの名は付けられていない。しかし、GT-Rのロゴマークはこれまでのものを引き継いでいたり、スカイライン伝統の「円形のテールランプ」は採用されているあたり、スカイラインの名残を感じさせる。

エンジンは従来のRB26DETTから、GT-Rの為に専用設計されたVR38DETTを搭載している。

3799㏄の排気量を持つV6ツインターボエンジンで、出力の自主規制が解除されていたこともあり初期型では480馬力、現在の2014年モデルは550馬力もの高出力を誇っている。

もちろんシャシー周りも専用設計のオンパレード。他のクルマからの流用はほとんどない。

日産は「GT-Rをチューニングをしたら保証から外す」としている。

これは、今までの(とりわけ第二世代の)スカイラインGT-Rの違法改造(ライトチューンでも400馬力近くでたエンジンですし)が横行し、それを阻止するためにハイパフォーマンスセンターでしかGT-Rを整備できないようになっている。

というか、国交省から違法改造防止策として設置するよう言われたらしい。

この決定には改造車オーナーや雑誌等から反発があったが、ユーザーの勝手な改造がメーカー保証対象外になるのは工業製品ではごく当たり前であり、改造を是とする自動車・バイク業界の方が異常なだけである。

そもそも改造のベースとなるのはメーカー保証の無い中古なのだから実質無関係なのだが。

というか改造した時点で保証が消えるのは他の車種でも同じである。

むしろサーキット走行しただけで保証が消える(GT-Rの場合は所定の整備で復活させることが出来る)他車種よりも手厚い体制と言えるだろう。

・・・しかし、社外から吸排気系のパーツやエアロパーツなどが販売されている。

もちろん補償対象外になることを覚悟して(?)それらを装着するユーザーも。

また、毎年のようにマイナーチェンジがされており、2009年にはスペックVを追加設定(後に廃止)、2010年には外装が変更されたほか、エンジンの出力が530馬力まで向上、2012年は550馬力にまで出力が向上している。

モータースポーツ

レースでも発表されてからすぐにSuperGTに参戦し、シリーズ優勝するなどと大活躍である。

2009年からはFIA-GT1クラスに、2012年からはFIA-GT3クラスにも参戦。

後者はGT300クラスにも参戦している。

また、ニュルブルクリンク24時間耐久では、グランツーリスモシリーズのプロデューサー、山内一典氏が2011年と2012年にクラス連覇を達成している。

NISMO

2014年の2月には先のジューク、マーチに続いてGT-RにもNISMOが設定された。

タービンをGT3仕様と同じものにし、600馬力という日本車では最大の出力を誇る。

また、足回りやエアロパーツも専用の物を装備しており、ニュルブルクリンク北コースでは『量産市販車』としては世界最速の7分8秒というラップタイムを記録している。

関連記事

GT-Rの編集履歴2016/08/20 19:36:34 版
編集内容:細部の追記
GT-Rの編集履歴2016/08/20 19:36:34 版