ハコスカ
はこすか
1968年8月
プリンス自動車工業と合併してから初のモデルチェンジで登場。
当初はセダン、エステート、バンの3タイプのラインナップで、エンジンもプリンス時代に使われていた1500㏄の直列4気筒エンジンが搭載されていた。
同年10月、L20型直列6気筒エンジンを搭載した2000GTが追加設定された。
先代の直6搭載のホットモデル、2000GT-Bとは違い、最初から6気筒エンジンを搭載するための設計がされていたのでボディをぶった切ってまでノーズを延長させる荒業はやってない。
1969年2月
2000GT-Rを追加設定。
2000GTをベースに、S20型エンジンの搭載、エアコンやオーディオの排除など、レースに特化したつくりになっていた。
このS20型エンジンは160馬力を発生し、1120㎏の車体を時速200キロまで加速させることができる。
同年8月にマイナーチェンジ。
グリルやテールライトのデザインが変更されたほか、1800を追加設定。
また、「愛のスカイライン」のCMキャンペーンはこの時に始まった。
1970年10月
マイナーチェンジ。
ダッシュボードやグリル、テールライトなどのデザインが変更されたほか、1800と2000GTにハードトップクーペを設定した。
このマイナーチェンジに伴い、2000GT-Rはセダンからハードトップクーペにボディが切り替わっている。
また、ミラーの形状の変更やオーバーフェンダーの追加などにより、更に戦闘力が増した。
1971年9月
マイナーチェンジ。
内装のデザインが変更されたほか、1500と1800のエンジン出力が向上。
また、HT2000GT-Xを追加設定。
フェアレディZに搭載されていたツインキャブ仕様のL20型エンジン(130馬力)を搭載した他、パワーウィンドウが装備された。
レースの世界ではGT-Rの活躍がよく話題に上がるが、1500がラリーで優勝したり、2000GTもサーキットで活躍している。
また、あまり知られていないかもしれないが、1972年に2000GTはかのスパ・フランコルシャン24時間耐久にも出場し、出場した3台のうち1台が総合20位で完走するという健闘を見せた。
2000GT-Rではなく2000GTだったのは、GT-Rは日本でのみの販売だったため、FIAから公認されていなかったためである。