バビロニア
ばびろにあ
バビュロニアとも。
(アッカド語: 𒆍𒀭𒊏𒆠、古代ペルシア語: 𐎲𐎠𐎲𐎡𐎽𐎢𐏁、古希: Βαβυλωνία、英: Babylonia)
ヘブライ語聖書では「Shinar」という名前で8回言及されている。Shinarの語源は「シュメール」と考えられている。
南半分のシュメールと北半分のアッカドを含み、北西側にアッシリアと隣接する。
バビロンについての最も早い言及は、紀元前23世紀頃のアッカド帝国(en)期のサルゴンの統治のタブレットに見ることができる。 シュメール文明とアッカドを征服して、チグリス川とユーフラテス川の間を中心に栄え、後にアッシリアの支配を受けた。のちアッシリアが衰えると新バビロニア王国(帝国、「カルデア帝国」ともいう)が興り、ネブカドネザル2世の時その勢力は各地に及んだが、アケメネス朝ペルシア帝国に征服されてその属州となった。
バビロン
語義は「神の門」(アッカド語: 𒆍𒀭𒊏、Bāb-ilim、古代ペルシア語: 𐎲𐎠𐎲𐎡𐎽𐎢、古希: Βαβυλών、ヘブライ語:בָּבֶל、アラビア語: بابل)に由来し、マルドゥクを守護神とした。ウル第3王朝崩壊後のイシン・ラルサ時代の群雄割拠をこの都市に開かれたバビロン第1王朝第6代の王ハンムラビが制して以後、メソポタミア下流域の重要都市として浮上した。これ以後のメソポタミア下流域、すなわちシュメールとアッカド、の地を「バビロニア」(アッカド語: 𒆍𒀭𒊏𒆠、古代ペルシア語: 𐎲𐎠𐎲𐎡𐎽𐎢𐏁、古希: Βαβυλωνία)の地名で呼ぶ。
旧約聖書創世記ではバベルと表記され、バベルの塔の伝承にて混乱(バラル)を語源とすると伝える。創世記10章第2節によると、ノアの子ハムの子孫である地上で最初の勇士ニムロド(ニムロデ)の王国の主な町が、シンアルの地にあったバベル、ウルク、アッカドであったという。この直後の創世記11章がバベルの塔の伝承であり、ここで東方からシンアルの地へ移住した人々による都市バベル及びバベルの塔の建設が述べられているため、この建設事業をニムロドに帰する神学解釈がある。
新バビロニア王国時代のバビロンと周辺の数箇所の都市には、滅ぼされたユダ王国の指導者層が強制移住(バビロン捕囚)させられ、この事件がそれまで神殿宗教であったヤハヴェ信仰をユダヤ教に脱皮成長させる大きな契機となり、ひいてはユダヤ人の民族形成史上、大きな役割を果たした。
また、イラクにおけるユダヤ人コミュニティーの起源ともなったが、このようにユダヤ教の成立過程に深く関わったバビロンはユダヤ教やその系譜を引くキリスト教といったヤハヴェ信仰の一神教において正義の対抗概念のイメージを背負わされており、さらにイザヤ書とエレミヤ書の預言と新約聖書のヨハネの黙示録(ヨハネへの啓示、啓示の書)の故事から、ヨーロッパなどのキリスト教文化圏においては、退廃した都市の象徴(大淫婦バビロン、大娼婦バビロン)、さらには、富と悪徳で栄える資本主義の象徴、として扱われることが多い。