本山小太郎
もとやまこたろう
江戸幕府幕臣、評定所書物方
1868年(慶応4年)、伊庭八郎、人見勝太郎ら36名が遊撃隊の本隊から脱走した際、本山小太郎も江戸を脱し遊撃隊に参加した。榎本武揚艦隊とともに蝦夷地を目指すが、乗船した「美賀保丸」は犬吠埼付近に座礁、沈没する。伊庭八郎、中根淑と共に沈む船から脱出し、一旦二人とは別れ先に江戸へと戻る。横浜の尺振八の家で潜伏しつつ蝦夷へ渡る機会を伺っている伊庭八郎に様々な書物を届けたと言われている。
もとやまこたろう
1868年(慶応4年)、伊庭八郎、人見勝太郎ら36名が遊撃隊の本隊から脱走した際、本山小太郎も江戸を脱し遊撃隊に参加した。榎本武揚艦隊とともに蝦夷地を目指すが、乗船した「美賀保丸」は犬吠埼付近に座礁、沈没する。伊庭八郎、中根淑と共に沈む船から脱出し、一旦二人とは別れ先に江戸へと戻る。横浜の尺振八の家で潜伏しつつ蝦夷へ渡る機会を伺っている伊庭八郎に様々な書物を届けたと言われている。