長慶天皇
ちょうけいてんのう
南朝の天皇の一人。98代目の天皇。
概要
南朝3代目の天皇にして98代目の天皇にあたる人物。
在位期間は1368~83年。諱は「寛成(ゆたなり)」
生い立ちは不明な点が多いが「陸奥太守(陸奥国守護)」に任じられたといわれる。
弟には99代目の後亀山天皇がおられる。
北朝となんとか対話を繰り返していたのが長慶帝が即位した後は少なくなるなど強硬派であった
と考えられる。しかし、楠木正儀が北朝へ降伏すると吉野へ後退、続いて金剛寺に移動するも
北朝の戦力にやられて吉野に戻ることとなった。
これは穏便な後亀山天皇を推して南北朝統一を早めようという策があったといわれている。
南北朝が統一された後の動向は不明。死去した場所も諸説あるが1394年には崩御されたという。
また、南朝に協力を求めるよう遠くは東北まで潜幸されたといわれ各地に伝承が残る。
在位の有無
南朝の資料が消されたことなどから長年不明確だった。
そのため明治天皇が南朝を認める趣旨のことを行った時も98代目に数えられなかった。
しかし、調べていくうちに1386年という数字に行き着く。
このときに天皇と上皇が併存されていることが判明。
後村上天皇崩御後でありこの時に行き着くのが長慶天皇しかいなかった。
(天皇は上記通り83年に譲位しており86年は弟が継いでいるので確定したといえる)
そして、1926年(大正)に正式に天皇と公認された。