明了
あきりょう
不動明側
了と一応公式でも親友(但し親友となるきっかけは原作者直筆のネオデビルマンを参考にすると了(というかサタン(デビルマン)が明を洗脳して自身を親友と思い込ませたとか)。しかも了からの明の命が危うくなる様な頼みを聞き、死ぬとしても了と運命を共にすると決める位には了を好いている。
飛鳥了側
ディーバダッタ(手塚治)同様、美少年に於ける、初代ヤンホモ(しかもかなりタチが悪い部類の)的立ち位置。本編に於て飛鳥了の中の内なる存在だけが不動明を愛していると思われていたが、外伝「新デビルマン」と描き下ろし「」夏の日」に於て彼自身も明を性的な意味で愛していると無事(?)確認された。
その愛は凄まじいの一言に尽きる。
「夏の日」で明と海水浴に行った際、明と一緒に泳いでいる牧村美樹を(一緒に泳いでいただけで)嫉妬から5ページに渡り睨んでいた挙げ句、無意識に殺害しかけており、その後(何故か裸の)明が自分を侮蔑し、見捨てて美樹とイチャつくという悪夢に魘されている。(恐らく明が裸なのは了が明を性的に見ていると言う示唆)
また、その話で美樹を睨んでいる最中、明が自分を呼びに来ると、睨み顔から一転、(ギャグマンガみたいな)大きな瞳を潤ませ、切なげに明を見つめる、そして泳ぎに誘われると(焼きに来たのに)肌が焼けるから嫌だと肌の白さと美脚を明にアピール。
新デビルマンでは明がデビルマンになる為合体したアモンの元恋人ニケが明に迫った際、「騙されるな」と叫びニケの首を撥ね飛ばした(しかもニケは騙すつもりなど毛頭なかった)。
さらに明に「ぼ、僕は女に興味ない」と告白まがいの発言を行った事もあり、その直後「ほ、本当なんだ・・・(省略)」と心の内で思い、寂しそうに明を見つめていた。
原作では明に惚れたきっかけは不明。
ネタバレになるので詳細は伏せるが、OVAのオリジナル設定では彼は明に出会う前に氷山で明の父の記憶を吸収した際に明への父性愛も吸収し、それが同性愛と化した模様。しかしこれはあくまでOVA限定のオリジナル設定であり、原作は違っている。そもそも原作者である永井豪直筆の外伝「ネオデビルマン」を加味すると、原作の明と了は明の父が海外勤務になる前から出会っており、矛盾が起こる。しかも明の父が氷山に赴いたのかも不明である(仮に赴いたとしても既に何もない)。その不動明に惚れたきっかけすら謎なのも原作の飛鳥了の魅力であろう。
尚、デーモンハンター回(文庫版では削除。変わりに海水浴回「夏の日」が追加。)では明の前で何時もの「~なんだ」「なのだ」のような顔に似合わず男らしい口調から一転。明の何故自分を呼ばなかったのかという質問に対して「なんでだろう?」と若干口調が柔らかくなったり、外伝で一人称が明の前で「俺」から「僕」に変化したりしている。猫を被っているのだろうか。
飛鳥了の牧村美樹への嫉妬
美樹との仲は見事に全ての作品において険悪。というのも美樹も明を愛しており、恋敵だからである。
更に明が美樹を愛していることへのヒステリック気味の嫉妬も兼ね、前述の海水浴以外にも「マジンガーZ」とのコラボやcrybabyでも嫉妬で美樹を意図的に殺そうとしている。
OVAでも美樹へナイフを突きつけている。OVAの美樹は女の勘で了を恋敵と認知しているらしく、好戦的。前述のコラボでは互いに話そうともしない。唯一美樹が了に話しかけたのは明と了が手を繋いだとき「男同士で何やってんだ!!」と怒鳴った時。了側は美樹を嫉妬で殺そうとした時だけ。crybabyやサイデビでも美樹側からも了を嫌っている。
CBではシレーヌを含めた四つ巴で明の取り合いに。
明サタとの違い
飛鳥了の正体は元天使長であり「暁のルシファー」といわれる程の超越した美しさを持ち、「天使長永ルシフェル」とも呼ばれる強さを持つ神の右腕堕天使サタン。飛鳥了の内なる存在である。元々はサタンが最初に明に惚れてネオデビで明を洗脳して飛鳥了として明と親友に(この時の言動でまだサタンの意識があると見てとれる)→飛鳥了の人格も何故か明を好きになるという二段構えである。
違いを簡単に言うなら、サタンは真・デビルマン等やドラマCDなど、公式の作品で明確に明に告白してる。飛鳥了も外伝では告白紛いの発言を行ったが、明は気づいていない。この程度であろう。
言葉通り神の力を持つ両性具有であるサタンは人間 不動明を愛してしまっていたのだ。・・・まあ、記憶を消した時の男の人格 飛鳥了が明に恋した時点で両性は関係ないような気もするが。因みにサタンも同じく恋敵の美樹が大嫌い。その嫌悪っぷりはバイオレンスジャックで美樹の四肢を切断して犬の様にするだけでなく、CBでは「俺と明の邪魔をする小娘!死ぬがよい!!」と叫び、殺そうとする程
余談
公式で了が明を愛していると判明している為、「デビルマン」「飛鳥了」タグでも明了作品は引っ掛かったりする。しかし明が了を恋愛的な意味で愛しているかは曖昧なので公式に対しそういう意味の相思相愛扱いは相応しくない。