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同治帝の編集履歴

2012-01-07 14:01:17 バージョン

同治帝

どうちてい

穆宗皇帝(ぼくそう) 清朝第十代皇帝 西太后の子 5歳で即位 19歳で崩御 その死因は、天然痘ともお忍びで遊郭に出向いた際に罹患した梅毒とも言われる。 咸豊6年3月23日(1856年4月27日) - 同治13年12月5日(1875年1月12日)、在位:1861年11月11日 - 1875年1月12日

概要

王朝 清

在位期間 1861年11月11日 - 1875年1月12日

姓・諱 愛新覚羅載淳

諡号 継天開運受中居正保大定功聖智誠孝信敏恭寬毅皇帝

廟号 穆宗

生年 1856年4月27日

(咸豊6年3月23日)

没年 1875年1月12日

(同治13年12月5日)

父 咸豊帝(長子)

母 孝欽顕皇后(西太后

陵墓 恵陵

年号 同治 : 1862年 - 1874年

同治中興

  • 西太后に信任された李鴻章により、政治と軍隊の洋化が進められ、対外政策にも柔軟な対応を見せた(洋務運動)。また漢族軍隊により捻軍の乱を終結させた。この時期に僅かながら清の国勢は復活し、同治中興と呼ばれる事もある。
  • 1874年、西郷従道率いる日本軍が台湾を占拠した(台湾出兵)。

崩御

1875年、同治帝は19歳の若さで早世する。その死因は、天然痘ともお忍びで遊郭に出向いた際に罹患した梅毒とも言われる。なお清東陵に陵墓がある。

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