そもそも『ひぐらしのなく頃に鬼』ってどんな話?
『ひぐらし鬼』にはこれまでのシリーズにあった「〇〇編」といった章が存在せず、本編の正式な過去編となっており、大正時代が舞台の始まりとなっている。公由喜一郎や後の園崎お魎の夫『宗平』も『折口』という名字で登場する。この時代の「部活メンバー」の活躍が見られるのはここだけである。
現在『殺彼』などを手がけた旭先生により2022年3月より月刊アクションにて連載中。
彼を一言で言い表すならば、ひぐらし史上、・・・最悪、07th作品史上でも上位に入る『幸薄枠』に秒速で入ることになった人物、と言えるかもしれない。
記念碑を立てられ、缶詰を食べる習慣を根付かせた宗平とは対照的に、雛見沢から存在そのものを隠されるように歴史から抹消された彼は、もはや雛見沢という村そのものを象徴する存在になるのかもしれない。
そんな彼が辿った悲しき経緯は作中でも特に必見である。
※以下、内容に触れる為本編ネタバレ注意(一部台詞引用有)
雛見沢出身。初登場時の大正12年の時点で13歳、メインとなる舞台の昭和13年では27~28歳。
村を治める御三家の「公由」「古手」「園崎」のうちの公由にあたる家系だが、彼の公由は分家である。
父親は早くに他界し、元娼婦の母親(公由千代子(年齢不詳、鷹野三四に瓜二つ))と二人暮らしだった。その関係からか、村人達からは少年時代から既に苛められていたという。
成人後は公由本家の紹介により興宮市に在職。役場勤めで農会の窓口を兼任している。
ピンク寄りの薄紫の長めの髪で右分け、黄色い目に逆三角の瞳。容姿端麗、細身。顔や身体にほくろが多いのが特徴。
昔から身長が高く、再会した宗平もそれなりに伸びたはずだが(※少年時代から背を気にしていた)下駄も込みで彼には大分届いていない。
少年時代の落ち着いた面影をそのままに大分様変わりしている清治は彼に容姿を褒められるが、それに対し謙遜した後、殆ど15年前と雰囲気が当時のまま変わらない宗平に「宗ちゃん・・・!全然変わっていないね!」と天然なのか意図的なのかよくわからない嬉しそうな反応を見せる。とにかく何故か嬉しそうである。
普段は主に着物を着ているが、内側に特徴的なデザインの服を着たりブーツを履いたりと、いわばこの時代の若者ならではの「モボ」スタイルを好み、職場ではベストを着用する姿も。また、視力に影響するのかは不明だが時折眼鏡をかけている。
穏やかで控えめな性格。少年時代では宗平が特に仲の良い近所の子供たちを集めて立ち上げた「げぇむ倶楽部」のメンバー(折口宗平(10)、園崎お両(10)、古手葎花(12)、公由喜一郎(年齢不詳)、公由清治(13))の一人だったが、勝負事には弱く、あまり身体を動かすことに積極的ではない。他の子供達より年上の立場であることを気にしている場面もあり、自分の意見を言うのが少し苦手。年下の宗平には振り回されているような空気が目立つ。
1話で開催された鬼ごっこではじゃんけん(※パーで全員に一人負け)で負けて鬼に決まり、葎花と協力しつつ最後に残った宗平を追いかけるも捕まえることはできなかった。
この時から「急がないと彼うるさいからね」「大丈夫だよ、僕だって駆けっこ宗ちゃんに勝てたことは無いもの」と弱気なお両を時折気にする素振りや、祭具殿に入ろうと提案する宗平にやや躊躇う姿勢を見せる。しかし結局この時は場の空気に流されてしまい、自分も付き添い4人で「入ってはいけない」とされている祭具殿に入ってしまう。
その後、後に「詮索してはいけない祟り」と呼ばれる一夜の大量惨殺事件に巻き込まれ、目の前で〝変わり果てた〟母親を目撃する。
しかしその後母親は失踪してしまい、この状況を周囲からは「千代子は鬼になり沼に沈み『鬼隠し』に遭った」とされ、母親を鬼(元凶)扱いされる。以来主に彼女を疎ましく思っていた村民達によって息子である清治はさらに不当な村八分を受けることになる。
その後公由本家は状況を見かねたのか興宮に彼を移し、職を与えるも、清治はこれに対し「厄介払い」という認識をしている。(しかし「公由(千代子と清治)が祟りに遭った」という話を聞いた本家頭首の平七郎による「公由の面汚しが」という発言により、残念ながらこの清治の認識は全くの認知の歪みによるものではないと思われる)
清治は不遇な環境や、精神病の初期症状の影響で、徐々に周囲に対し疑心暗鬼になり始め、常に傍にいて献身的に接してきた本家の葎花や、御三家本家に対し時折攻撃的な発言をするようになる。(園崎に関してはお両や佑魕は例外)
「唯一誰も祟りに遭わなかったオヤシロ様の血を引く古手の巫女」と「身分が格下で嫌われ者の自分」という立ち位置を主張したいのか、子供時代は普通に会話していた葎花に対し露骨に畏まった敬語で語りかけ、様付けをする。彼女は何度もやめるよう言ってきたらしいが全く聞かない為、そのまま彼に合わせるようにぎこちなく会話している。
御三家への不信感は増幅するばかりで、とうとう再び単独で祭具殿に忍び込むというそれまでに見られなかった大胆さを発揮する。(因みにこの直前では葎花が共謀してはいるものの古手神社の神聖などぶろくをくすねており、神社の宝物庫を荒らすことを躊躇っていた少年時代との差がこの時点で少し伺える)
そこで子供の頃に目にした「鬼降し」という謎の単語と絵が描かれた掛け軸を発見する。清治が祭具殿に再び侵入した理由はこの掛け軸を探す為で、何故かここで御三家の誰かが母に鬼を降ろしたと清治は確信し、疑い始める。
「何故祟りが過去に祭具殿に入った自分ではなく、母親に降りかかったのか?」「何故優しかった母親は変貌したのか?」という真相を突き止めることが清治の最大の目的であり、母や自分の汚名を晴らすことで御三家の陰謀を証明できると清治は本気で信じていた。疑心暗鬼を爆発させる形相や発言こそ狂気だが、「母さんは何もしていないのに何故僕じゃない!」という様子から、過去の自分の行動を責めているようにも解釈できる。が、明らかにその前後の発言では雛見沢症候群特有の他責思考が現れている。
葎花は偶然清治が祭具殿に入る所を目撃し、その狂気の様子を見た彼女はただならぬ気配を感じ正気に戻るよう説得を試みるも、一旦は聞き入れる様子でその後の効果はあまりみられなかった。それでも彼女は何度も彼と向き合う事を諦めなかった。
他のメンバーも彼を心配していたが、清治は最終的に自らの意思で仲間を突き放し孤立しようとする。
中でも事件後に村を離れた宗平に対する清治の敵対心は凄まじく、彼が自ら孤立する引き金にもなった。
実のところ、清治は大正12年の事件が起こる以前から「差別なく特別な扱いをしてくれた」お両にひっそり恋心を抱き続けていたが、当の彼女自身は宗平に対し頑なに一途で、事件の影響で彼が村を離れていた15年間もずっと宗平の存在だけが気がかりな様子で、とても話しかけられる状況では無かったという(これに関しては一部清治の認知の歪みが含まれる可能性もある)。
その事実を目の前でずっと突き付けられ続けた清治は次第に卑屈になり、環境的にも状況的にも思うように気持ちを打ち明けることができないまま最終的に15年も過ごすことになった。自分の欲しかったものを全て奪っていくと感じていた宗平に対し、これまでの人生全てを比較するようになり、日々劣等感に苛まれ、激しい嫉妬心を抱いていく。
そして清治は日中戦争に召集され、出征する前にせめてお両に気持ちを伝えようとしていた矢先、宗平にまたしても機会を邪魔されたことをきっかけに今まで彼に対し溜め込んでいた負の感情を清治は全て爆発させてしまう。(ここで開かれた壮行会は、宗平としては清治を明るくみんなで送り出す為に用意した貴重な時間だった)この一連の流れは当のお両や葎花もすぐ近くにいる中で繰り広げられた事もあり、気まずさもあったのか清治ははっきりとここで踵を返し決別しようとする。
この15年蓄積させた強い嫉妬心が彼を変えてしまったといっても過言ではない。(因みに宗平は後に園崎家と結ばれることが確定しており、長年お両に対し抱き続けた清治の気持ちがどれほど大きいものだったのかを直接本人にぶつけられた後に事実を知ったうえで結婚する流れになる。このあたりがどうなるのか今後注目される。)
そんな中、出征前に雛見沢症候群(当時は祟りと例えられる)の前兆が見られ、現象を把握していた園崎お魁の指示により園崎家の地下祭具殿に極秘で隔離、幽閉される。
この一連の流れを現在知るのはその場にいた葎花とお魁、事態をもみ消す政治的な権力を持つ公由平七郎のみである。
地下祭具殿は明治以前から使われてきたらしいが、現時点では「あってはならないものを隠しオヤシロ様の元へ還す場所」であり、禍々しい拷問器具が周囲に置かれていること以外はその詳細は一切不明である。公由清治がこれから送られる場所はそういう場所である。
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再三言うが公由清治は『ひぐらしのなく頃に鬼』で初めて明かされた存在だが、雛見沢の父と称えられる宗平と異なり、これまで一切誰の口からも語り継がれることがなく、未だに全てが謎に包まれている。
もはや歴史から抹消されてしまった彼に一体何があったのか?園崎お魎は何をもってこれまで語らなかった話を孫に伝えようとしているのか?
この先の封じられた歴史は、どうかその目で確かめてほしい。