ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

隼源史の編集履歴

2023-10-21 22:18:23 バージョン

隼源史

はやぶさげんじ

日本の空手家で、「平成の仙人」を自称していた人物。

概要

独特な風貌と森の中に居を構え修行に明け暮れる様をたびたび平成中期頃のバラエティ番組で放送され「平成の仙人」を自称していた空手家である。


「身体と精神のバランスが崩れかけている世俗の人々のために、仙人がいろいろと知恵をお貸しいたしょう」(公式HPより引用)という名目で自分の住む山に「里の森学校」という独自の教育・宿泊施設を設立・運営していた(後述)。


竜爪術、円明流ヌンチャク道の使い手であり、

女弟子に天空拳を伝授する様がテレビで放送された事もあった(なおこの女弟子の方はのちに弟子を辞めマジシャンに転向していた)。


前述のバラエティ番組への出演の他、雑誌取材も何度か受けていたようであり、記事の一部が公式HPで現在も閲覧可能。


2015年前後に「高齢と病気で引退」し、

2023年(令和5年)現在、ご存命であれば81歳になっている筈だが、

消息不明になっている。



経歴

1942年(昭和17年)に佐賀県にて生まれる。


1963年(昭和38年 21歳)に結婚。子供を二人もうけたとの事。


1975(昭和50年 33歳) 詳細不明ではあるが福岡市でRKBテレビ(RKB毎日放送か)の取材を受けている。


1979年(昭和54年 36歳)に理由は不明ながら夫人と離婚したらしい。子供についてはどちらが引き取ったかは不明だが後述の本人の人生を考慮すると夫人に引き取られた可能性が高いと思われる。


1980年(昭和55年 37歳)に大塚剛氏率いる「プロ空手」に入団。すぐに「プロ空手家」としてデビュー。公式サイトに当時のチラシの画像が残っており、若かりし頃の仙人の姿を見る事が出来る。


1981年(昭和56年 39歳)に大阪の梅田コマ劇場で行われた「島倉千代子ショー」で、島倉さんの相手役として一ヶ月間公演。また同年には当時の内閣総理大臣中曽根康弘より「プロスポーツ新人賞」を受賞している。なお、公式サイトに掲載されている賞状の画像では「隼 源次」となっているが誤記なのか別表記があったのかは不明。


1983年(昭和58年 41歳)「プロ空手」が解散し、以後ヌンチャクアクションショーで全国を行脚しながら、修行をはじめる。本人のプロフィールによればトラックの運転手などをしたり廃車で寝泊まりした事もあったと言う。


1994年(平成6年 52歳)現在の愛知県豊田市の里山に入山。本格的に仙人生活を追究しサバイバル術を活かし「円明流ヌンチャク道」を確立させる。


1997年(平成9年 55歳)講談社「フライデー」にて山の中で子供達にヌンチャクを教える記事が掲載されている事から、のちの里の森学校の原型がこの頃には出来上がっていたと思われる。また、少なくともこの頃にはバラエティー番組へ出演している。


2008年(平成20年 66歳)この頃に公式HPを開設したと思われる。里の森学校の運営も既に始まっていたと見られる。


2009年(平成21年 67歳)小学館「BE-PAL」にて「森で暮らす平成の仙人」と紹介された記事が掲載される。この頃にはツリーハウスや竹の滑り台、ブランコ等の遊具を完成させていたらしい。


2011年(平成23年 69歳)頃には脳梗塞を発症。他にも心臓も患う等、この頃より健康状態が少しずつ下り坂に入り始めていた様子。


2012年(平成24年 70歳)テレビ東京「週刊AKB」に出演。SKE48のメンバー三名に稽古をつける。この時仙人道場にてSKE48メンバーによるダンスが披露されたが道場が揺れ危険と判断され中止になった


2013年(平成25年 71歳)12月27日に公式HPの更新を行い、これが公式HPの最後の更新となっている。


2014年(平成26年 72歳)日本テレビ「お迎えなんてまだ早い!最強ご長寿グランプリ2014」に出演。ヌンチャクによるビール瓶の栓抜きを披露する。結果的に成功させたものの、明らかにヌンチャク捌きにキレが無くなっており、声も弱々しくなっていた


恐らくこの後2015年(73歳)までには引退を発表したと思われる。



言葉

「武道は己の為にあらず」

「武道は戦わずして勝つ」

「ヌンチャク道は人生にプラス」



里の森学校

仙人が自分の住む山に建設し、運営していた教育・宿泊施設。

出演していたテレビ番組曰く「青少年育成を始め、自然と触れ合う事で豊かな心を育み自立支援する場」との事。

山の中に仙人道場、食堂、竹で作られたアスレチック、ツリーハウス等、仙人自身の手によるDIYで多くの建物が作られ、受講生達は仙人と共同生活を行ったり様々な講習を受けたりして心身を鍛錬していた(らしい)。

受講生の多くは子供だったようだが、大人もいたようである。

仙人道場内には受講生の仙人への感謝の言葉が書かれた竹の切れ端や手紙が数多く飾られており、それなりに多くの受講生がやってきて評判も悪くは無かった様子。

設立された明確な年は不明だが公式HP掲載の過去の取材記事から、

少なくとも1997年(平成9年)頃には原型となる施設が出来ていたと思われる。


仙人の引退により学校も閉鎖されたものと思われ、※1

2023年(令和5年)現在は仙人の住居含め施設は全て放棄され廃墟と化してしまっている。



その他

・往時のヌンチャク捌きは超一流であり、テレビ番組ではヌンチャクで瓶を割らず栓を抜くという離れ業を披露していた。多くの芸能人からも「ヌンチャクを教えて欲しい」と”弟子入り”を申し込まれたこともあったという。千葉真一がその一人との事だが真偽不明。

・住んでいる山の豊富な竹を活かした”竹マシーン”などの竹製品を開発し販売していた。

・仙人として生きる一方、普通に携帯電話を所持していたり、下山して喫茶店に入ったり※2、更にとある方が廃墟になった仙人道場を調査した際、自転車に跨る写真が発見されたり、冷蔵庫やガスコンロ等文明の利器が多く設置されていたり、缶詰やビールの空き缶が大量に転がっていたり、蚊に悩まされていたであろう証拠の殺虫剤スプレーの空き缶が見つかったりと、かなり人間臭い部分も持っていた。

・中曽根元首相から貰った賞状は道場のよく目立つ場所に飾られ、公式サイトにも画像をスキャンして載せるなど仙人にとって自慢の種だったであろう事が窺えるが、先述の廃墟化した道場内に賞状も額に飾られたまま残され湿気や雨漏りでカビてしまっていた。末期には仙人にとって何の価値も無くなってしまったのであろうか。

・些か胡散臭い部分もあったが、基本的には気さくな人柄だったようで、道場内に多数飾られた受講生達のお礼の言葉からそれなりに人望もあったと思われる。



外部リンク

http://heiseisennin.web.fc2.com/ 仙人の庵

公式ホームページ。

最後の更新日は2013年(平成25年)12月27日となっている。



※1 とある方の廃墟化した里の森学校の調査動画にて廃墟化した仙人道場内に2015年(平成27年)5月で止まったカレンダーが残されていた事からこの時期までは使用されていたようである。

※2 喫食の他、新聞を読んで最新情報を得ていたり、携帯の充電を行っていた様子。

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました