阿部定事件
あべさだじけん
事件概要
1936年5月18日午前11時頃、東京市荒川区尾久(現東京都荒川区尾久)の待合(主に芸者との遊びや飲食に使う店。現在のラブホテルの側面もあった)の一室から男性の他殺体が見つかった。被害者は料理屋店主の石田吉蔵。彼は布団の上で全裸で横たわり、着物の腰紐で首を絞められた上、ペニスを切り取られていた。さらに、太ももと布団にはそれぞれ血文字で「定吉二人」「定吉二人きり」と書かれていた。その後の警察の捜査でその日の朝、石田の連れの女が「(石田は)具合が悪くて寝ているので、午後になるまで起こさないでほしい」と言い残し待合を出たことが分かり、警察は彼女を行方を捜した。その女こそ阿部定だった。
阿部定パニックそして逮捕
事件が新聞で大々的に報じられると国民の関心は高まり、各地で「阿部定パニック」なる熱狂が起きた。銀座や大阪などの繁華街では阿部定に似た女がいると通報騒ぎがあったが、勘違いが多く、人々が血眼になって彼女を探す様子を新聞各社は面白く書き立てた。そして事件発生から2日後の5月20日、捜査員が品川駅前の旅館に宿泊していた阿部を発見、逮捕した。逮捕時彼女は石田のペニスと睾丸を紙に包んで持っていて、「阿部定を探してるんでしょ?あたしがお探しの阿部定ですよ」とさらっと言いのけた。逮捕後の供述で動機について、「私は石田を愛していたから彼の全てが欲しかった。彼を殺せば他の女が手を出さないと思い殺した」と話し、ペニスを切り取った理由については「彼の体や頭を持っていたかった。彼の傍にいつまでもいたくて持っていきたかった」と述べた。
裁判・その後
その後定は殺人罪で裁判にかけられ、懲役6年が言い渡されたが1940年に皇紀2600年を記念して恩赦された。釈放後は名前を変え料亭で働いたり、自ら店を営んでいたが、1971年に千葉県市原市のホテルで働いていたのを最後に消息を絶ち、生死不明である。