概要
本来迫撃砲は、前線よりある程度はなれた位置から攻撃する兵器で、戦場ではなくてはならないものであったが、いくら榴弾砲より小型と言っても、運搬、設置、観測、砲撃と運用は数人がかりで行わなくてはならかった。
この擲弾筒は、運用人数は一人であり、なおかつ重さや大きさもちょうどよいために使い勝手がよく、ゲリラ戦を展開していた日本兵には射程、威力ともに大変な評価を持って迎えられた。照準器こそなかったものの、慣れれば即効力射可能という芸当もできたほどであり、相手の米兵を大いに苦しめたのであった。
大腿骨破壊兵器
この擲弾筒を変な方向で有名にしてしまったのが、この兵器を鹵獲し、使用したとある米兵の悲劇である。
ゲリラ戦で日本兵の擲弾筒に大いに苦しめられた米兵は当然鹵獲した擲弾筒を使用するのであった。
ここまではよくある話なのである。そう、ここまでは。
何を思ったのか、米兵は膝の上に本擲弾筒を固定し、発射。見事その衝撃で大腿骨を粉砕してしまったのだった。
※メイン画像参照
そしてついたあだ名がニー・モーターである。
おかげで日本兵の膝は鉄で出来ているなんてうわさがまことしやかに流れたそうだが、そんなことあるわけない。
そもそも本来、この兵器は地面に乗せて運用するものである。それをどうして膝なんかに乗せたのかと言うと、地面に乗せる部分が湾曲しているのである。そう、そしてそれは見事太ももにジャストフィットするのであった。
実際には湾曲していると岩のようなごつごつした面に乗せても安定させやすかったからだそうだが、それを見事に勘違いした米兵が膝を破壊。ニー・モーターの名と米兵の悲劇とともに、八九式重擲弾筒は後世に語り継がれるのであった。
ちなみに、分かっているのか知らなかったのかは不明だが、ドヤ顔で膝の上に擲弾筒を構えている米兵の写真なんかが実際にあったりする。
なお、本擲弾筒を鹵獲した場合の米軍マニュアルには膝に乗せるなと書かれるほどであったため、それなりに膝を破壊した米兵が多かったようだ。
その後米兵が「膝で迫撃砲を撃ってしまってな」と言ったかどうかは定かではない。