概要
人名の構造は文化によって異なり、その種類は多岐にわたる。
現代では、個人をさす「名(名前)」と、その人の所属する家族共同体や、血縁的ルーツを表す「ファミリーネーム」「姓」「氏」(日本の名字、苗字に相当)」で構成される事が多い。これは、欧米列強、中国、日本の影響とされる。
アラブ人、アイスランド人など、現在も姓氏を持たない民族もいる。このような民族には個人の識別のため父の名を添える習慣がある(例えばアラブ人の場合はサッダーム・フセインで「フセインの子サッダーム」、アイスランド人の場合はビョーク・グズムンズドッティルで「グズムンドの娘ビョーク」という意味になる)。
その他、人名を構成する要素として、洗礼名、ミドルネームなどがある。
欧米列強の影響を受けた地域は「名前・姓」の順の人名、中国や日本の影響を受けた東アジア周辺は「姓・名前」の順の人名が多い。
なお、中国と日本の人名が「姓・名前」の順になった経緯はそれぞれ違う流れである(後述のとおり、厳密には日本の名字と、姓は異なるものである)。
日本の人名
現代の日本の人名は「苗字・名前」の順となっており、この人名体系は「氏名」と呼ばれる。
姓と氏、苗字は現在混同されているが、本来はそれぞれ別のものである。昔の武士・貴族などは長いフルネームを持っていたが、姓と氏は明治時代に廃され全ての日本人は苗字を名乗る事とされた。
武士の名
現代で「織田信長」と呼ばれている人物は、「織田三郎信長」(おださぶろうのぶなが)とか「織田上総介信長」(おだかずさのすけのぶなが)とか「織田弾正忠平朝臣信長」(おだだんじょうのちゅうたいらのあそんのぶなが)などのような名前を名乗っていたとされる。この名前は時と場合によって様々に変化していた。
上記の名前の内容は以下のようになっている。
織田 … 苗字。家名。その人の所属する家族の名前。一族の発祥の地名に由来するものが多い。
弾正忠、上総介 … 官位。通称。仮名(けみょう)。職業のようなもの。現代でいう「部長」のようなニュアンスで、部下が上司を呼ぶ時はこれを用いた。弾正忠は正式な物だが、上総介などは朝廷から金品と引き換えに貰ったり、「俺上総介だったらかっこいいんじゃね」みたいなノリで名乗ったりしていたらしい。
三郎 … 輩行名。仮名。この中では、現代の「名」に近い意味合いを持つもの。親が子を呼ぶ時などに用いられた。
平 … 氏(うじ)。自分の一族のルーツを示す。しかし、武士は箔付けのため実際の系譜とは無関係に「源」「平」「藤原」のどれかの氏を名乗ることが多く、信長の場合も平氏であることは名目上のものでしかない。
朝臣 … 姓(かばね)。家格。朝廷との関係。
信長 … 諱(いみな)。その人の魂を指す感じの名前。現代の「名」に当たるものだが、軽々しく使ってはいけない名前だった。
このように、武士の名は複雑な構造をしていた。この成り立ちは、中国の文化の影響も大きかった。
戦国時代がモチーフの漫画、小説、ドラマなどで、家臣や姫などが織田信長を呼ぶ際に「信長様」と言うシーンがあるが、これは現代人に分かりやすくするための表現であり、本来、人を呼ぶのに「信長」(諱)が使われる場面はものすごく目上の人が、ものすごく目下の人を呼ぶときである。もちろん、同様のことは大元となった中国でも言えることである。こちらは何で呼んでいたかというと字(あざな)や官位である。
リアルでそんな風に呼んだら冗談抜きでフルボッコにされるので、皆も誰かを呼ぶときは、うっかり諱で呼ばないように気をつけようね!
(ちなみに、織田信長の子孫とされるスケート選手の織田信成の「信成」は「諱」ではなく「名」なので、一般人が呼んでも問題はない。はず)
庶民の名
武士や貴族のような官位や姓、氏を持たない庶民は、公的に名乗ることができるのは「名」だけである。しかし、家名である苗字は天皇から下賜されるものではないので、庶民もたいてい持っていた。
ただし江戸時代には、庶民の中で庄屋や名主など特別の許可を得た者だけが苗字を公に名乗ることを許された。これが「明治時代まで日本人のほとんどは苗字を持っていなかった」などと誤解されて喧伝されることがあるが、事実ではない。現代の日本人の多くの苗字は、庶民の家系であっても江戸時代まで遡ることができる。なお、商人などには家の名前として苗字の代わりに屋号を使う習慣もあった。
近代の日本人の人名
明治時代に全ての日本人名が「苗字+名」というシンプルな形に統一された。この際、本来の苗字より屋号の方がよく通用するということで、苗字を屋号に置き換えた者もいた。武家出身者には、名として諱を名乗ることにした者もいれば、輩行名、仮名を名乗ることにした者もいた。