概要
開発経緯
バレンタイン歩兵戦車は、1938年に マチルダⅠ歩兵戦車の後継開発要求が出されたおりに、ヴィッカース・アームストロング社が私案として、Mk.Ⅱ巡航戦車を元に開発された。
開発
開発チームは、Mk.Ⅱ巡航戦車の重量と歩兵戦車の装甲を組み合わせることを試みたが、これは機構が詰め込まれた小さな車体に、2名搭載の砲塔を搭載するという外観に結びついた。マチルダ戦車よりは装甲が薄く動力も弱く、同程度の速度であったが、低コストで、かつ大量生産に適していた。
陸軍省は当初、砲塔と乗務員コンパートメントの小ささから、この設計を制止した。しかしながら、ヨーロッパ戦線の戦況から、最終的に1939年4月に設計が承認された。1940年5月には試験が開始されたが、この時期はダンケルクの撤退によるイギリス軍装備の損失と重なっていた。試験は成功し、この車輌は「歩兵戦車 Mk.Ⅲ バレンタイン」としてすぐに量産に移された。
名前の由来
バレンタインという名前が付けられた経緯については、いくつかの説が存在する。もっともポピュラーなものは、陸軍省に設計が提出されたのがバレンタインデー(2月14日)だったというものだが、いくつかのソースは提出日が2月10日だったと主張している。他の説では、A10戦車やその他のヴィッカース製戦車の開発に尽力したジョン・バレンタイン・カーデン卿 Sir John Valentine Carden から取られたというものがある。この他に、Valentine は Vickers-Armstrong Ltd Elswick & Newcastle-upon-Tyne. の頭文字を取ったものだという説がある。
実戦
この戦車の最初の戦歴はクルセーダー作戦である。この作戦が、マチルダⅠ歩兵戦車からの置き換えの契機となった。その後も北アフリカ戦線における作戦で広く運用され、初期から防御力と信頼性が評価された。
バレンタイン歩兵戦車は1944年4月まで生産され続け、歩兵戦車だけでなく戦車としても、イギリスでもっとも量産されたものとなった。
関連イラスト
別名・表記ゆれ
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