1899年(明治32年)2月10日生誕、1989年(平成元年)12月12日没。ペンネームは本名の「高見沢(たかみざわ)」を「たかみず・あわ」とぎなた読みし、漢字を当てたもの。
日本美術学校(現・日本美術専門学校)卒業。現代美術家から文筆業(専業落語作家)を経て、漫画家へと転じた珍しい経歴の持ち主。
杉浦茂、長谷川町子、倉金章介など、後に漫画家として大成する多くの弟子を育てた。
代表作「のらくろ」が戦前に人気を呼んだ作品であったため、昭和の終わり頃にはすでに物故者と勘違いされる事が多く、存命であるにも関わらず新聞記事やニュースで「故・田河水泡」と誤って表記される事件が何度もあった。
現在、江東区文化コミュニティ財団が運営する「森下文化センター」1階に、田河の遺品を展示する常設展示館「田河水泡・のらくろ館」が存在し、生前の足跡を辿る事が出来る。