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ステマ配合

すてまはいごう

日本の競走馬において、ステイゴールドを父親、メジロマックイーン産駒の牝馬を母親とする交配例。重賞馬4頭、うち3頭がGⅠ馬(3頭でGⅠ計15勝)、顕彰馬1頭を輩出した強力なニックス(相性の良い組み合わせ)として知られる。活躍した4頭はいずれもステイゴールド産駒らしい曲馬揃いであり、特に暴れ三冠馬オルフェーヴルや、人気馬ゴールドシップを生み出したことで名高い。父の名前から「黄金配合」、父・母父を管理した調教師の名前から「池江配合」とも呼ばれる。
目次 [非表示]

概要

種牡馬としての二頭

メジロマックイーン(1987~2006)は史上初の獲得賞金10億円超え、父子孫の天皇賞三代制覇など輝かしい実績を残して1993年限りで引退した。競走馬としては名実共に歴史に名を残す名馬であることは疑いようもないが、種牡馬としては苦戦した。

JRA重賞を獲ったマックイーン産駒は5頭。そしてGⅠ馬は生まれず、馬主のメジロ牧場や競馬ファンが期待した天皇賞四代制覇を果たすことはできなかった。

特に牡馬の活躍馬に恵まれず、牡馬で唯一重賞を獲ったホクトスルタン(2008年目黒記念、ちなみに天皇賞は2008年春の4着が最高である)は障害競走に転向のちレース中の故障で予後不良となり、マックイーンの後継種牡馬となることができなかった。


ステイゴールド(1994~2015)は、現役中はかつてのナイスネイチャにも匹敵する善戦ホースとして独自の人気を獲得し、2001年に引退レースとして臨んだ香港ヴァーズで念願のGⅠ制覇(同時に、日本産日本調教馬による海外GⅠの初制覇)を果たし大きな感動を呼んだ。

しかし、種牡馬としては特に期待されてもいなかった。サンデーサイレンスの後継の一頭ではあるものの、そもそも引退した2001年時点で父サンデーサイレンスはまだバリバリの現役種牡馬であった。さらに後継種牡馬なら既にフジキセキダンスインザダークマーベラスサンデーらが活躍中、加えてスペシャルウィークアドマイヤベガなど、ステイゴールドより高評価のSS産駒も続々種牡馬入りしていた。さらには引退・種牡馬入りが検討されていた2001年、デビューしたばかりのアグネスタキオン皐月賞で引退し、そちらの種牡馬繋養手続きが優先されたのも、現役が少し長引いた理由である。

結局、引退後は生産・馬主の社台グループからは売却され、非社台系のブリーダーズ・スタリオン・ステーションとビッグレッドファームを往復して種牡馬生活を送った。おまけに「牝馬には興味を示さず、種牡馬ができるのかさえ不安だった」という証言もある(種牡馬になったらつけるのが上手だったようだが)。

今でこそ名種牡馬として名を馳せるステイゴールドだが、その繁殖生活の始まりは逆境からだったわけである。


配合の狙い

柔と剛の相互補完

この2頭、(母馬の母系血統を別にすれば)血統上でカチ合うところはなく、父・母父としてコンビを組ませるに支障はない。


社台スタリオンステーションの徳武英介氏によれば、メジロマックイーンの肉体には水っぽい、芦毛馬特有のダブダブした感じがあったという。一方、ステイゴールドはサンデーサイレンスやディープインパクト同様、もっと乾いた感じの馬であるという。「あの配合はお互いの特徴をうまくカバーし合っている」と彼は述べている。


また、ビッグレッドファーム総帥の岡田繁幸氏は

  • マックイーン自体がグニャグニャした、ゴムみたいな馬だった(それはパーソロン系の特徴であり、トウカイテイオーもそうだったという)
  • 一方のステイはディープインパクトに比べると筋肉の収縮力、輪ゴムをどこまで引っ張れるかという意味の粘りがちょっと足りない
  • パーソロン牝馬にステイをつけると粘りの不足が補われてディープの体質に近くなる

と述べている。彼に言わせれば、あの配合が走るのは当然であるとのこと。父トウカイテイオーの牝馬にステイゴールドを配合しても理論的には成功するはずであり、馬格があり、テイオーに似たゴムのような体質の牝馬とステイゴールドを配合すれば、オルフェーヴルのような馬が誕生する可能性も十分にあるという。

(実際にビッグレッドファームは父ステイゴールド・母父トウカイテイオーの配合の馬を6頭ほど生産しており、その内、マイネルアウラートがオープン入りを果たし、母父トウカイテイオーの中では生涯獲得賞金2位となっていることから岡田総帥の理論は一定の成果を出したと言える。)


産駒の小型化(結果的なステマ配合)

よく「大柄虚弱なマックイーンと、小柄頑強なステイゴールドで馬体の大きさのバランスを取り、マックイーン系の脚部不安をステイゴールドの血で補おうというのが主な狙いである」と言われるが、これは正確ではない。

まず、ステマ配合を広めたドリームジャーニー・オルフェーヴル兄弟の母オリエンタルアートに対するステイゴールドの配合は産駒の小型化を目的としていない。オリエンタルアートは470kgほどと牝馬としてはやや大きい程度であり、ステイゴールド以外が父となった産駒にも大型化する傾向は確認できない。むしろ第1仔のドリームジャーニーの幼少期に関しては「こんなに小さくて競走馬になれるのかなって心配になるぐらいでした」と白老ファームの石垣氏が述べている。また、オリエンタルアートの最初の配合相手にステイゴールドが選ばれた理由は、オリエンタルアート第1仔は配合前から新たに開業する池江泰寿厩舎への入厩が内定しており、母父メジロマックイーンに合わせて、ステイゴールドが同じく池江家や白老ファームに縁のある種牡馬だったためである。

また、ゴールドシップの母ポイントフラッグやその産駒は確かに大型馬故の脚部不安に悩まされることになったが、ポイントフラッグへステイゴールドを配合した狙いは産駒の小型化とそれによる脚部不安の防止のみであり、頑強さの遺伝までは目的としていない。結果的にゴールドシップが大型かつ頑強になっただけである。更に言えば、ゴールドシップの配合の際にはドリームジャーニーは全く意識されておらず、結果的にステマ配合となった。加えて、配合も父と母父ではなく、あくまで母を主体として考えられており、ポイントフラッグと好相性の種牡馬を探す試行錯誤の中でステイゴールドとの配合は行われた。

同様に母馬の産駒の小型化を目的としてステイゴールドを配合した結果、(なおかつ大型馬として)誕生した馬には非ステマ配合のフェノーメノがおり、ゴールドシップ誕生の経緯はドリームジャーニーやオルフェーヴルよりもフェノーメノに近いと言えよう。


また、よく「ステイゴールドのずる賢く暴れ馬な気質を、穏やかなメジロマックイーンで中和しようとした」とも言われるが、これは誤りである。マックも基本的には穏やかではあったものの、現役晩年はその頑固さから扱いづらさが増した面もあった馬であったし、最初にこの配合で活躍した後述のドリームジャーニーは、まさにステゴの息子とみな納得の気性難であったので、その後の種付け例が気性改善を狙ったものとは説明し得ない。後藤正俊氏によれば、馬産地ではこの配合は気性が更に荒い産駒が産まれるだけの「禁じ手」であると考えられて敬遠されていたという話も残っている(優駿2014年2月号)。(この説が囁かれるようになった経緯としては、池江泰寿調教師が新聞のインタビューで(父や兄よりは気性が激しくない)オルフェーヴルについて、「ステイの激しい気性がマックイーンで緩和されていたりもするんかなって」と答えたことが発端と推測される。)

なお、ドリジャ以外も、後述のとおりこの配合で活躍した馬はとんでもない曲馬ぞろいである。


産駒の例(中央重賞以上)

ドリームジャーニー

(Dream Journey、2004年生、牡・鹿毛、母オリエンタルアート)

主要勝鞍:朝日杯フューチュリティステークス(2006)、宝塚記念有馬記念(2009)

表彰:2009年最優秀4歳以上牡馬


この配合でデビューした2頭目の馬であり、最初の活躍馬。配合を考えたのは社台スタリオンステーションの角田馬長(白老ファームの配合責任者)であり、開業の挨拶に牧場を訪問した池江泰寿調教師にドリームジャーニーの預託を依頼した。配合前からオリエンタルアート第1仔は池江泰寿厩舎への入厩が内定しており、父ステイゴールドと母父メジロマックイーンはいずれも父の池江泰郎調教師の管理馬(特にメジロ牧場と池江家は家族ぐるみで親交があった。なお、現役当時は泰寿氏は別厩舎の調教助手)だったことから、この配合を第1仔に対して選択した。「黄金の旅路 人智を超えた馬・ステイゴールドの物語」ではこの配合を池江配合と、ドリームジャーニーを開業祝いと表現している。

2006年の朝日杯フューチュリティステークス勝利は、ステイゴールド産駒初かつメジロマックイーン子孫初のGⅠ制覇であり、両馬のファンを心から喜ばせた。

ちなみに、2004年生まれのドリームジャーニーの後、「父ステゴ・母父マック」の馬は2008年生まれ世代までデビューしていない。つまり、後に続く馬たちはドリジャの朝日杯制覇を見てから付けたということであり(1名ほど例外がいるが…)、この意味でも「夢の旅路」を拓いた役割は大きい。

その後、着実に重賞勝ちを積み重ねるもGⅠ2勝目が遠く、種牡馬いけるか…?とファンの心配を誘っていたが、2009年宝塚記念有馬記念の春秋グランプリ制覇を達成。これにより、引退後に種牡馬入りを果たすことができた。

なお、父ステゴよりもさらに小柄な420kg前後の馬であるとともに、気性面ではサボる・暴れる・わがままとまさにステゴ産駒というべきものだった。


フェイトフルウォー

(Fateful War、2008年生、牡・黒鹿毛、母フェートデュヴァン)

主要勝鞍:京成杯セントライト記念(2011)


2011年年明けのGⅢ・京成杯を獲り、同世代のオルフェーヴルより早く重賞馬となったが、クラシック三冠では敵わず大敗。しかし、オルフェとともに「ステマ配合、間違いない」という評価に貢献した1頭である。引退後は乗馬となった。

なおこの馬、2010年の新馬戦で放馬をかましたのち勝利という珍記録を持っている。

返し馬で立ち上がり騎手を振り落として逃走、周囲の馬をからかって回り、ひとしきり走り回った後に捕獲されたが、馬体に異常はなかったため出走が認められた。ところが放馬の疲労もみせずに2馬身半差をつけて勝利、東京競馬場は新馬戦とも思えぬ喝采に沸いた(ステマ配合に潜む「周りをおちょくる因子」の片鱗はこの時点で既に見えていたと言うことになる。この因子が強く発現したのが後述の白いアイツである)。


オルフェーヴル

(Orfevre、2008年生、牡・栗毛、母オリエンタルアート)

主要勝鞍:皐月賞東京優駿菊花賞(2011)、有馬記念(2011・13)、宝塚記念(2012)

表彰:2011年最優秀3歳牡馬・年度代表馬、2012・13年最優秀4歳以上牡馬、顕彰馬(2015年選出)


2011年の三冠馬であり、同年「ステマ配合」の語を一躍注目させた馬。

(※よく、ゴールドシップのお陰で有名になった配合と言われるが、正確ではない)

前述したドリジャの2006年朝日杯制覇を受けて繁殖牝馬としての株を上げた母オリエンタルアートには、2007年には大注目の新種牡馬ディープインパクトが付けられる予定だった(「ステイゴールドと配合してドリームジャーニーが生まれるのなら、ディープインパクトと配合したらどんな馬が生まれるのだろう?」と好奇心を抱いた池江泰寿調教師の希望である)。ところが、3度に渡るディープとの種付けはすべて不受胎に終わる。交配シーズンも終わりに差し掛かり、好評価の繁殖牝馬が1年空きになってしまうことを避けるため、ならばドリームジャーニーを参考に再び、代打で付けられたのがステイゴールドだった(それで顕彰馬が誕生するのだから、偶然とは恐ろしい)。

毛色が異なるが、社台スタリオンステーションの徳武氏曰く、顔立ちそのものは母父メジロマックイーンに似ているとのこと。

兄同様に池江泰寿厩舎に預託された。


新馬戦を軽々と勝利するもレース後に騎手の池添謙一を振り落とす暴れ振りを早くも披露。気性的な幼さもありその後は4戦勝てなかったが、2011年皐月賞トライアルの3月スプリングステークス(GⅡ)で重賞初制覇。その後は皐月賞・日本ダービー・神戸新聞杯・菊花賞有馬記念と、史上7頭目のクラシック三冠達成を含む重賞6戦6勝。その勝ち方も、差してよし、先行よし、追込よしと競馬の幅も広く余裕も窺わせるもので、文句なしの年度代表馬に選出された。

奇しくも、2011年5月20日に母父マックら多くの名馬を生んだメジロ牧場が成績不振で解散した。メジロ牧場の天皇賞の次の悲願でありながら勝利できずメジロ牧場代表が「一番の心残り」と解散の際に泣いて語ったダービーを解散から僅か9日後に、オルフェが勝利を果たしたことについて「メジロ牧場解散のはなむけに」と当時の優駿では語られている。また、震災により東京競馬場開催となった皐月賞の勝利後、池江調教師は「東京2000mで悔しい思いをしたマックイーンと、東京のG1を中々、勝てなかったステイゴールドの血統で勝てたことが嬉しい。」と語っている。その他に菊花賞でのオルフェの走りを見たメジロ牧場元勤務者は「メジロマックイーンにそっくりだ」と語っていたという。

なお、菊花賞での三冠達成後、鞍上の池添はあふれる喜びを抑えてガッツポーズなどをせずに手綱を取り続けたにもかかわらず、オルフェはまたも騎手を振り落とした

4歳・5歳時は2年連続でフランスに遠征し凱旋門賞に挑戦。前哨戦のフォワ賞を二連覇するも、本番では2年連続の2着。エルコンドルパサーナカヤマフェスタに続き、あと一歩制覇には届かなかった。

2度目のフランス遠征から帰国後の2013年有馬記念、結果にかかわらず引退が決まっていたオルフェーヴルは8馬身差の圧勝。十分すぎる余力を残したままターフを去った。


ちなみに古馬になってからも暴れ振りは健在だった。

2012年天皇賞春の前哨戦として挑んだ阪神大賞典(通称「阪神大笑点」)では、掛かり気味に2周目向こう正面で先頭に立つと第3コーナーでレースを放棄して逸走。(手綱を引いて抑えようとする池添の指示にやる気をなくしたとも、オルフェが距離を誤認していてもう勝った、レースは終わったと勘違いしたとも言われる。)しかし他の馬がまだレースを続けているのに気づくやブチギレ気味にレースに復帰。いったん走るのを止めたとは思えないもの凄い加速で2着まで盛り返した。なお、制御不能の逸走により調教再審査のペナルティ、ついでに春天はまるでやる気なく生涯最悪の11着惨敗というオチがついた。

また2012年凱旋門賞では、最終直線で力強く抜け出して後続を突き放し「いける!」「勝った!」と日本の競馬ファンを大興奮させたが、そこから謎の大ヨレ&内ラチ接触で2着に。「あの馬はなぜか先頭に立った途端真面目に走るのをやめたとは、勝ったフランス馬ソレミア騎乗のオリビエ・ペリエの証言である。


暴れ三冠馬として名を馳せる彼だが、上述の種付けの経緯から誕生日が5月14日と遅く、同世代の他の馬たちよりも身体は小さく幼かったため、放牧時にはいじめられて育った。こうした経験からかステゴ産駒の中でも、父譲りの気性難に猛烈な反骨心と臆病さが同居する、独自のメンタリティを有していたと言われる。


余談として、例の阪神大賞典後の調教再審査や、引退後の健康管理のための運動でダートを走らせたところ、まるで芝のように軽く走ってみせたことから「本当に得意なのはダートだったのでは?」という疑惑があったりする。

実際産駒のマルシュロレーヌがダートの本場アメリカにてブリーダーズカップ・ディスタフを制覇し、日本で調教された馬による史上初の日本国外ダート国際G1制覇を成し遂げるなど、産駒にも芝で通用するスピードを有したダート馬が見られる。


ゴールドシップ

(Gold Ship、2009年生、牡・芦毛、母ポイントフラッグ)

主要勝鞍:皐月賞・菊花賞・有馬記念(2012)、宝塚記念(2013・14)、天皇賞・春(2015)

表彰:2012年最優秀3歳牡馬


この配合で誕生した最初の芦毛馬であり、2012年世代2冠馬の名馬にして迷馬の白いアレ。

大型馬でも結果が出せると証明された事からステマ配合本格勃興の嚆矢とも言える馬。

実は下記のようにステマ配合の中では異質な存在である。

  • 前述の3頭が白老ファーム生産且つ社台系のクラブ馬であるのに対し、零細牧場の出口牧場生産の個人馬主所有馬。
  • ポイントフラッグ産駒の小型化のみを目的として小柄なステイゴールドは配合され、配合の際にはドリームジャーニーは全く意識されておらず、結果的にステマ配合となった。
  • ジャーニーとオルフェが父・母父との縁で池江泰寿厩舎所属の一方、ゴールドシップは母との縁で須貝尚介厩舎所属。
  • 父・母父の存在が誕生のきっかけになっているジャーニーたちに対し、母、母母…と遡る牝系への馬主の思いが誕生のきっかけとなった。

今までのポイントフラッグ産駒同様、生産者の配合の狙いとは相反する大柄な体格を持って生まれ、それでいて体質は父ステゴを受け継ぎ頑健で、現役生活を通じて故障らしい故障はほとんどなかった、強いて言うなら軽い筋肉痛を鬱陶しがってたのが彼の馬生最悪の怪我である(ダメコンの為に手を抜いていたとも)。

また、よく破天荒な面ばかり強調されるが実は幼い頃はとても素直で大人しかった…と一部で言われていたが、生産者へのインタビューによれば、実際には許容範囲でやんちゃであり、手を煩わせるほどではなかったというのが真相(なおドリームジャーニーも書籍によれば、幼い時は同様に許容範囲でヤンチャであり、病気や怪我もなく、そういう意味では手のかからない馬だったという)。


デビューした2011年には前述のオルフェとフェイトが活躍中で「ステマ配合」・競馬中継においては「黄金の血統」の語が広まっており、本馬も新馬戦を函館競馬場の2歳レコード勝利と上々のデビューを飾る。

その後しばらくは勝ちきれないレースが続いたが、2012年2月の共同通信杯で初重賞を獲ると、皐月賞では道悪馬場の荒れた最内をスリップの危険も辞さず駆け上がり追込勝ち(通称ゴルシワープ)。日本ダービーはワールドエースをマークしていた為仕掛けが遅れて5着に敗れたが、続く菊花賞では京都競馬場の第3コーナー上り坂からスパートという悪手めいた仕掛けからスタミナ差を見せつけ勝利。同年の有馬記念では、最終直線に向いた時点では10番手前後から直線一気の末脚で差し切った。こうした、バテ知らずのスタミナと優れたパワーで豪快に逆転する見栄えのする勝ち方から「不沈艦」の異名が定着した。

マックの面影を感じさせる馬体と母父譲りのスタミナを持つゴルシには天皇賞獲得へのメジロファンからの期待も大きかった。2013・14春と2年続けて同じステゴ産駒で似たような経緯で誕生したフェノーメノに敗れたが、2015年春に三度目の正直で天皇楯を獲得。かつてのメジロファンを喜ばせた。


しかし、コイツが他の馬と違うところは、何と言っても父の気性難ぶりと体づくりと賢さは言うまでもなく、母ポイントフラッグからはデカい体格とある時点を境に神経質な面が出る性格、更にマックイーンからは他馬に威嚇しレースや調教を嫌がり人間の言うことを聞かない甘えん坊と言う身体的特徴・気性・知能を足して2で割るどころかそのままフルコースで載せてしまったまさに合体事故のような馬と言う点である。


その結果、レースでのやる気の浮沈の激しさについてはオルフェーヴル以上だった。終盤の追込戦法については、この馬がレース中ですら土壇場までやる気をなかなか出さないことが大きかった。機嫌のよい時には、スタート直後にしっかり行き脚がつき、スムーズに好位置につけて4角から直線で抜け出す、母父マックイーンのような盤石の先行型レースを見せている。

逆にやる気のない時はどうしようもなく、2013年のジャパンカップでは15着大敗でそれまでコンビでGⅠ4勝を挙げた内田博幸の騎手交代を招いた。2014年にはジャスタウェイハープスターと共に凱旋門賞に挑むも、本馬場入場で馬列を乱し観客席に愛想を振りまくなど落ち着きなく、他馬のムチが顔に当たってやる気を無くして14着惨敗。また平地同一GⅠ3連覇の偉業がかかった2015年宝塚記念ゲート内にて隣の馬を気にして暴れ出し、やる気の喪失とともに致命的な出遅れを喫した通称「120億円事件」も有名である。

ムラの激しい成績は「ゴルシの馬券買うバカ、ゴルシの馬券買わないバカ」などと競馬ファンに評された。

2015年の引退レース、有馬記念ではそんなゴルシの生涯を全て詰め込んだような顛末になっており「最初はやる気なさげに馬群後方に身を潜め、後半一気に抜き去る」という黄金パターン……だったのだが、途中から一気に失速、ゴルシは珍しく本気で前へ前へと行こうとするも身体がついて行かず、そのまま8着で沈む。

やる気のある時は勝ち、ない時は負けてきた彼の最後は「本気で走って負ける」という納得せざるを得ない終わりであった。


気性面については、「猛獣ゴルシ」だの「芦毛の暴れん坊」だの「ホワイトライオン」だの色々言われている位には暴れまくり他馬にマウントを取る性格であったが、単なる見境なしの乱暴者ではなく、マックイーンの色がより濃く出ているのか大変に頭がよく周囲の人間や馬が何を考え自分に接しているかを深く理解していたという。その上で、気に入らないことは頑なに拒否し暴れ回るという頑固さを有していると評される。須貝調教師曰く「父親の血が濃い」、生産者の出口氏曰く「父の気性を受け継いだ」とのこと。

それゆえお世話や遊びなど彼のしたいことをやらせてくれる今浪厩務員にはよく懐いていたし今でも見かけると駆け寄って甘えるのだが、調教等彼の神経を逆撫でする事を無理矢理やらせてくる須貝調教師(しかしそれが彼の仕事である)は雑に扱っており、今でもあまり良い反応はしない。


また、ビッグレッドファームへ種牡馬入りしてからは扱いが確立化されたせいか暴れる事はまずなくなっただけでなく、種付けが大好きで「種付け」と言うワードを聞くと無関係な話題でもすぐイチモツをボロンし、種付けに向かっていることを知ると現役時代のゴネ癖がどこへやら、ウッキウキで素直についてくるようになる。

行為自体もとてもスマートであり、素早く丁寧に相手に余計な負担をかけず終わらせる為、「ゴルシでないと嫌がる」というゴルシガチ恋勢の牝馬がたまに出ている。

また、種自体も良質なのか、受胎成功率驚異の平均80%(通常は70%程)、再種付けを含めると90%を超える。種付け自体の成功率は2019年は最高99.1%を記録するなど馬界切ってのテクニシャンである(失敗例1、相手は兄弟オルフェーヴルの子供のメロディーレーンの母メーヴェ、ゴルシに限らずなかなか受胎できない体質らしい)。


その後

ステマ配合の終焉

上記の4頭は、「父ステイゴールド&母父メジロマックイーン」の血統を持つ馬で、生年の早い順に10頭以内で生まれている。……10頭で4頭重賞馬、3頭GⅠ馬である。

どれほどの良血馬でもまともな戦績を挙げられないまま消えていくことも当たり前の競馬の世界で、これはとんでもない当たり率であり、ステマ配合は急速に過熱した。


しかし、この配合による産駒は2015年まで計49頭が生まれたのだが、ゴールドシップを最後に目立った馬は出なかった。

ドリジャ・オルフェ兄弟を産んだオリエンタルアートや、ゴルシの母ポイントフラッグにはその後もステイゴールドが付けられたが、弟妹たちは伸び悩んだ。


2015年4月10日にポイントフラッグのラストクロップとしてゴールドフラッグが、5月20日にオペレッタが産まれ、ステマ配合は終焉を迎えた。ゴールドフラッグが父ステイゴールドに似た黒鹿毛なのも、オペレッタが祖父に似た芦毛なのも、どこか運命を感じるものである。(オペレッタは6戦0勝という戦績だったが、ゴールドフラッグは29戦3勝を挙げ、賞金もそこそこ咥えて帰ってきているので、兄程とは行かずともけして侮っていいような成績ではない。)


中には、通常は実行しないような交配例もあった。

マックの子で最も高い戦績を挙げた牝馬はヤマニンメルベイユ(中山牝馬S・クイーンS)だが、この馬は母父がサンデーサイレンスである。

……つまり、ステゴと交配させるとサンデーサイレンスの2×3という強烈なクロスが発生するのだが、この交配は実行に移され2013年にヤマニンリュウセイという牡馬が誕生した。

体質に問題なくデビューしたが、27戦3勝の戦績で現役中の2018年末に、腸管破裂により安楽死の措置がとられた。

(一応言っておくとステゴ以前にアドマイヤムーンやマンハッタンカフェを付けた時があるためやばい配合覚悟でやった試しはある。アドマイヤムーンの母父はSSであるため3×3の子が生まれ、カフェの方は不受胎だったようだ)


活躍血統であることは揺るがないが、同時に何処かしら尖った部分が現れ、またほぼ確実に暴れ馬気質になり、配合に安定や鉄板などあり得ないという、ブラッドスポーツの難しさを示す例ともなった。


総括

だが、ドリームジャーニーの活躍後、更に大物GI馬が2頭も出てきたのだから十分すぎる成果と言えるだろう。

また、ドリームジャーニーとオルフェーヴルは「全兄弟による合計GI勝利数日本記録(9勝)」を有している。


ちなみに、ステイゴールドはGI産駒でサッカーボーイ…もといサッカーチームが組めるほどの多くの活躍馬を残しており、この「ステマ配合」はその一部にすぎない。だが、オルフェーヴルは顕彰馬選出、ゴールドシップは母父マックイーンを超えて芦毛馬最多の獲得賞金・GⅠ勝利数を挙げ、「ステイゴールドの代表産駒といえば?」という問いには多くの人がこの2頭を挙げるだろう。

一方、「母父メジロマックイーンの重賞馬」を条件とすると7頭中4頭がこのステマ配合であり、特にGⅠ馬はこの配合に集中している。(唯一の例外は、2012年JBCスプリントを制した、父キングカメハメハのタイセイレジェンド。)


このように、双方にとって大きなニックス(相性の良い交配)の恩恵を受けられた例だといえる。


ステマ配合同士の対決

菊花賞2011

2011年の菊花賞にはフェイトフルウォーとオルフェーヴルが出走登録を行っていた。

フェイトフルウォーが3枠5番、オルフェーヴルが7枠14番から発走した後は、オルフェーヴルが途中から一気に追い上げ、後続を突き放して三冠達成。

オルフェーヴルが1着。フェイトフルウォーが7着という結果になった。


有馬記念2013

Stay Golds

2013年の有馬記念にはゴールドシップとこれが引退レースであるオルフェーヴルが出走しており、これがゴルシとオルフェの最初で最後の対決となった。

レースでは両馬ともに後方からの競馬となり、3コーナーからオルフェーヴルが爆発的な末脚を見せて先頭に立ち、後方を8馬身差突き放して1着。

ゴールドシップも追い込んでくるものの届かず、3着と敗れ、池江配合の名の通り、池江厩舎所属のオルフェーヴルに軍配が挙がった。


余談

なお、ステイゴールドの父サンデーサイレンスは、種牡馬時代にメジロマックイーンと放牧地が隣だった時期があり、極めて気性の荒いサンデーサイレンスがマックの前では大人しく、遠くからジッと見つめ続け熱視線を送っていたことから「恋人」とまで評された逸話がある。徳武氏や池江泰寿調教師はステマ配合成功の背景にはこうした父父と母父の相性の良さもあったのかもしれないと語っている。


……知っての通り双方牡馬なのだが


関連イラスト

黄金兄弟

センシティブな作品ステマ配合


関連項目

配合 ステイゴールド メジロマックイーン

ドリームジャーニー オルフェーヴル ゴールドシップ

ダービースタリオン 気性難

ステルスマーケティング - こっちのステマではありません。

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