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曖昧さ回避

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樺型駆逐艦「松」

概要

三菱造船所にて建造、1915年4月6日竣工。同型艦の榊、柏、杉とともに第七駆逐隊(後に第十一駆逐隊に改番)を編成する。

第一次世界大戦中には後に『地中海の守護神』と称されるようになる第二特務艦隊の一員として地中海に派遣され、ドイツ海軍オーストリア海軍の潜水艦相手に健闘、榊とともに輸送船トランシルバニア号沈没時に乗員約3000名を救助するなどの活躍を見せた。

1932年4月1日除籍。


松型駆逐艦「松」

概要

舞鶴海軍工廠にて建造、1944年4月28日竣工。当初は訓練部隊であった第十一水雷戦隊に編入される。この間に小笠原諸島方面輸送作戦に投入され、長良冬月、第4号輸送艦とともに硫黄島への輸送部隊の第一陣(伊号輸送作戦)に加わった。

帰還後の7月15日、同型艦のとともに第四十三駆逐隊を編成。ただし松に関してはその後も横須賀鎮守府の横須賀防備戦隊指揮下におり駆逐隊として姉妹艦と活動する事は一切なかった。


以降も松は硫黄島の戦いに備えた小笠原諸島方面への輸送作戦に繰り返し参加する事となる。伊号輸送作戦後も二度輸送作戦を行い、これらはすべて一切の被害もなく無事に完遂している。


7月29日には第二護衛船団司令部の旗艦として、四度目の小笠原方面輸送となる第三七二九船団に加わった。陸軍第109師団145連隊を硫黄島に輸送するもので、護衛としては松をはじめとする駆逐艦・海防艦・駆潜艇などの直接護衛部隊の他、ちょうど横須賀から呉へと回航する事になっていた瑞鳳が回航のついでとして往路のみ対潜哨戒用に艦載機を飛ばす形で間接護衛を行っていた。船団は8月1日に中継地点となる父島に到着し、その後は輸送船によって硫黄島へ直行したり物資や人員を機帆船に載せ替えたりして輸送を終了した。

しかし、ちょうどその頃小笠原諸島の南ではマリアナ諸島の攻略を終えたアメリカ海軍第58任務部隊が次なる作戦として小笠原諸島方面の日本軍に対する空襲作戦「スカベンジャー作戦」を決行すべく北上していた。日本軍もこの第58任務部隊の動きを察知、8月4日には硫黄島の部隊が米軍機を観測し小笠原諸島一帯に空襲警報を発令した。これを受け、ちょうど人員や物資の揚陸を終えた輸送船団は第四八〇四船団として急ぎ横須賀へと引き返す事となった。

しかし船団が父島を発ってまもなく、第四八〇四船団は第58任務部隊の艦載機に発見されてしまう。三度の空襲を経て船団は松と第四号海防艦、貨客船利根川丸を残して壊滅(後に内地に帰投した旗風と第12号海防艦はこの時点で船団から落伍していた模様)。さらにローレンス・T・デュボース少将率いる第13巡洋艦部隊(軽巡洋艦3隻と駆逐艦12隻の混成部隊)が追撃してきたので更なる退却を行った。

聟島沖まで退却したところで松は単艦反転、第四号海防艦に利根川丸の護衛を任せ敵艦隊の迎撃に向かった。一時的には足止めに成功したものの、この戦いの中で軽巡洋艦モービルとその指揮下の駆逐艦の攻撃により轟沈した。

尚、松が逃がそうとした利根川丸であったが、迎撃も空しくその後艦砲射撃とB-29による夜間爆撃によって撃沈されてしまっている。一方第四号海防艦は内地に無事帰還している。


余談だが、松を撃沈した第13巡洋艦部隊であるが、後にエンガノ岬沖海戦において再び日本駆逐艦に単艦突撃され、本隊追撃に失敗している。


関連タグ

大日本帝国海軍 日本海軍 駆逐艦


樺型駆逐艦 地中海の守護神


松型駆逐艦 松型 丁型駆逐艦 孤軍奮闘艦


松(艦隊これくしょん)...2代目「松」をモチーフとしたキャラクター

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