ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

概要

袁術の配下として登場。

建安元年(196年)、呂布劉備から下邳を奪ったため、劉備は呂布に降って小沛に駐屯した。それを見た袁術は、紀霊に3万の軍を率いさせ、劉備を攻撃させた。

しかし、呂布は袁術がもし劉備を滅ぼしたならば、臧覇らと結んで自分を包囲しようと企むであろうと見抜き、紀霊と劉備の仲裁に出た。呂布は紀霊に対し「地面に挿した戟の小枝(胡)に矢を射当てたら軍を引き揚げよ」と申し渡し、見事そこに矢を射当てた。紀霊は約束により止むを得ず兵を引いた。その後の動向は不明。


三国志演義

『三国志演義』では、袁術軍の配下の中でも特に活躍する場面が多い。

山東出身との設定で、重さ50斤(約11キロ)におよぶ三尖刀の使い手として登場する。

当初は関羽との一騎討ちで30合余り打ち合うほどの猛将として描かれていたが、袁術が領土を捨てて兄の袁紹の元へ落ち延びる途中、襲撃して来た劉備軍と戦い、張飛との一騎討ちでわずか10合余り渡り合った後にあっけなく討ち取られている。

なお、袁術が帝を僭称し、敗戦と暴政のため人心を失い、多くの配下が袁術を見限る中で、最後まで袁術に従っていた。


関連タグ

三国志 袁術

関連記事

親記事

袁術 えんじゅつ

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

pixivに投稿された小説 pixivで小説を見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 2175

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました